| ふと、思い出した事を書き綴って見ました。 あんな事、こんな事・・今ではどれも大切な想い出です。 お時間のある時に、暇つぶしで目を通していただいたら嬉しいです 温泉やドライブとはあまり縁のないノートです |
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| ・ 姑のこと ・ 母と、その姑のこと ・ ちいさなちいさな三部作 母と子のいる風景 ・ 今日のビタミン ・ 家族スケッチ1 「写生大会」 ・ 私の出会った先生「余りのある割り算」 ・ 余りのある割り算・その後 ・ 家族スケッチ2 「交換ノート」 ・サンタさんへの手紙・その後 ・二人の長い長い週末(乳ガンの疑いあり) (1)人間ドック当日 (2)帰宅 (3)帰宅2 (4)翌日の土曜日 (5)大事なお知らせ ・続・二人の長い長い週末 (1)週明けの月曜日 (2)喜びの一週間 (3)再び週明け・・病院へ ・私の出会った先生「夢」 ・ザ・保険 New! |
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| 姑のこと | |
雑記帳というコーナーがあれば、好き勝手な事、書けていいかなあ、と 軽い気持ちで作ったけれど、 いざ書こうとしたって書けるもんじゃあない。 こりゃ、始めから工事中か?と思っている矢先、 昔のノートを整理していたら出てきた代物。 個人的に懐かしいのと、ワラをも掴みたい気持ちも手伝って、 紹介することにします。稚拙な文ですが。 これは、昔々、子供のクラスの母親達で、交換ノートをしていた時の私のページです。 主人の母、つまり、姑の事が書いてありました。 始めのほうは、夫婦の事が書いてあるので、省いて、途中から・・。 10年目の結婚記念日の日の事です。 ******** ( 略 )毎年、この日は○○さん(ダンさん)から花が届くのですが、 今年も例にもれず、綺麗な赤いバラが、ただし、去年より1本多い10本。 「ありがとう」のメッセージも添えられて・・。 それは勿論、嬉しい事なのですが、 今年はもう一人、思いもよらない人から花が届いたのです。 それは・・彼のおかあさん、そう、お姑さんからだったんです。 「おめでとう。これからも○○(息子)のこと、よろしくね。 それから、これからも(私と)仲良くやろうね。 花束ひとつで、あれもこれもじゃ、調子良すぎるかね」のTELも。 私、電話口で、「わあ〜い!嬉しい!ありがとう!!」って わざと元気な声で騒いでしまって、電話を切ったのですが、 その後、掃除機をかけながら、床にポトポト涙がとまりませんでした。 そして、この10年間の事、ふ〜っと頭をよぎったのです。 母(姑)は地味で真面目で、考え方も古風で、そして苦労性で・・私とは正反対。 子供のためなら、たとえ火の中水の中を、地で行ってる母親の代表選手のような人。 だから、目に入れても痛くない○○さんのお嫁さんは、 必ず、自分で(母が)見つけてやりたい、と思ったそうです。 それが、東京の大学に行っている間にもう・・ショックだったろうと・・今、思います。 で、この10年間、何もなかったと言ったら、ちょっと嘘になります。 のんびりのんびり育って、人間関係も、丸く丸くきた私の生まれて初めての試練・・ と言ったら、チト、オーバーかな? でも、いろいろあったなあ・・と、改めて思います。 でも、数年前頃からかな、小さな事の積み重ねで (これを書きはじめると、このノートがなくなってしまうほど 長くなってしまうので、省きますが) 不思議な事に、母の事、だんだん好きになってきたんです。 母は母で、私のどうしようもない欠点を、段々わかって、 そして、○○さんと同じように、私のダメな部分も あきらめてくれているのだなあと、感じます。(ごめんなさい) そして、この花束・・。 花を贈る習慣など、決してない姑から、 花を贈られる事の大好きな嫁へ・・・嬉しかった。 正直言って、○○さんからの花束より、何十倍も何百倍も嬉しかった。 (○○さん、ごめん。でも、○○さんに、そう言ったら、とっても嬉しそうにしてくれた) これから先、きっと今みたいに平穏な事ばかりじゃないと思います。 なんといっても、お姑さんとお嫁さんは微妙な関係らしいから。 もしかしたら、ものすご〜い喧嘩も将来あるかもしれない。 でも、この花をもらったときの、あの感激はしっかり覚えておこうと思います。 そして、私の心の中で、この花を、少しずつ大切に育てて 大きくしていきたいと思います。 ********** あれから、どの位たったかなあ・・ 母は、今、天国の人。 亡くなった後、母の療養日誌が出てきました。 自分の体温、血圧、体調、お見舞いの品、金額 綺麗な字で克明に書かれた中に 私が、毎日何時に来て、何をしてくれて、どんな物を作ってきてくれたとか どんな言葉をかけてくれたとか、 同室の人まで○○ちゃん(私)に甘えてるのは変だという、ヤキモチまで・・・・ ビッシリ書いてあって、それは、亡くなる3日前の、 字がヨレヨレで、読めなくなるまで続いてました。 ・・・そういう、母でした。 |
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母と、その姑のこと |
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私のノート整理で出てきたもう一冊。 読んでいて、ああ、こんな事もあったなあ・・とUPしようと思いました。 子供の学校の文集に頼まれて書いたものです。 実家の母の事が書いてありました。 そのまま、省略せず、写します。 嫁姑の不思議物語です。 ********* 2年前の冬、父方の祖母が85歳で他界したときの事を 少し書き綴って見たいと思う。が、その前に 私の母と、他界した祖母(母の姑)との関係を記しておきたい。 母は35年前、長男の嫁として父の元へ嫁いだ。 と言っても、周囲に望まれた嫁ではなく、父一人が選んだ嫁だった。 父には5人の姉が居り、その父親は とうに他界していた。 女ばかりの家の期待される跡取り息子、そこへ舞い込んだ母・・ 想像を絶する様々な出来事があったと聞いている。 母以外の人には優しい祖母と、誰からも愛されるはずの母との 異様な戦いは長く長く、形こそ変わっても決して終わる事はなかった。 そのことを、まず、記しておきたい。 祖母が入院したとき、年齢的な事もあり、回復の見込みが薄いと言われ、 私も実家である横浜まで行き、看病させてもらった。 祖母は意識こそあるものの、体力的にはかなり衰えており、 母と叔母たちが交代で24時間介護をしていた。 私も、母と一緒に祖母に付き添った。 そこで私は不思議な光景を見た。 床ずれを防ぐためや、着替えのために 祖母の身体の向きを変えるのだが 祖母が頼りきっているはずの叔母達が手を出すと 実に痛そうに苦しい顔をするのに、 母がすると、本当に心地良さそうな安心した顔をするのだ。 不思議な事はまだあった。 だんだん話す声も途切れ途切れになっていく祖母の声は 見舞い客や医師はおろか、叔母達にも理解できなくなっていった。 さらに、祖母のほうも誰の声にも反応を示さなくなっていった。 が、母だけは、祖母のかすかな声を、難なく聞き取った。 そして、祖母もまた、母の声だけには反応し、答えていた。 また、祖母は、生死の境をさまよっていたからだろう、 時々、手が微かだが宙を舞うのだ。 そんな時、しっかりと、その痩せ細った手を握って、安心させられるのは、 娘である叔母達でもない、孫である私たちでもない 誰でもない母の大きくて暖かい手であった。 いちど長野へ戻った私の所へ、祖母の死の知らせが届いたのは それからまもなくの事だった。 再び横浜へ戻り、葬儀の席で私が見たものは 安らかな祖母の顔と、そこへすがるようにして、 誰よりも泣きじゃくっている母の姿だった。 数週間後、落ち着いた母が、私にこんな事を話してくれた。 「おばあちゃんは、死ぬ前に私を嫁として認めてくれて そして、義姉さん達にそれを示してくれたんだと思う。 おばあちゃんとは、いろいろあったけど、 最後は本当に神様みたいだった。 私を守るために、人間関係をみんな丸くして亡くなった・・。」 そして、こんな事も私にだけそっと言った。 「亡くなる直前、おばあちゃんが手を合わせるようにして 口を微かに動かしたの。 義姉さん達は『さよなら』ってみんなに言ったというの。 それはそれで良いんだけど。でも、私わかったのよ。 おばあちゃんね、私を見てね、『すまない』って言ったの。」 母と祖母は今、二人にしかわからない、不思議な絆で結ばれているようである。 ********** 現在の母ですか? ええ、あいかわらず父と仲良し・・というよりラブラブですよ。 叔母達・・つまり、母にとっての義姉達とは、距離的に離れているので 今、PCでメール交換してますよ。写真の添付なんてお手の物で、こっちがタジタジ。 そうそう、今度、兄弟姉妹会で温泉に行くんですって。 はい、勿論、母も行きますよ。当然のような大きな顔をして、ね。 |
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| ちいさなちいさな三部作 母と子のいる風景 |
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| (第一部) 私がまだ子供の頃の、時折ふと思い出す一つの情景がある。 8歳くらいになっていたのではないだろうか。 晴れた日の夕方。たぶん季節は秋。夏に近い秋ではなく・・たぶん晩秋。 和室から続く 庭に面した廊下・・縁側か。 建て替える前の自分の家。今と違って庭と道との間に遮る物はなく、 近所の人が庭に入ってきては縁側に腰掛けて話し込んでいったあの頃・・。 その日も母がサンダルを履いたまま、縁側に腰掛けて近所の人と話し込んでいる。 私は、その場ですることもなく、おしゃべりに夢中な母達の顔を交互にみて 聞いている。 いつも母のそばにいるはずの病弱な妹は、なぜかいない。 庭の花の話題にでもなったのだろうか、座っていた母が立ち上がって話し始める。 私の目の前に母の大きな背中。セーターか割烹着だったか・・白っぽい広い背中。 時折、何が可笑しいのか、笑い声をあげると、母の肩と背が大きくゆれる。 その次の場面。私は母の背中に吸い寄せられるようにフワッと立ち上がり スローモーションのようにゆっくり母の背中におぶさる。 “あら、なに?めずらしい・・” 母は、一瞬驚いた様子だが、すぐに何事もなかったように、決して軽くはない私の体を 一度よいしょとオブイなおして、そのまま話の続きを始める。 母親としての習性なのか、話しながらも体を左右に揺らして背中の子供を 寝かしつける動作をしている。 背中の私はどういう表情をしていたのだろう。 いつもの、弱い妹を守る姉らしい顔とは違っていたかもしれない。 ただ、いつまでも近所のおばさんが母と話してくれていればいいと そればかり考えていたように思う。 あの日の母の背中の感触は、不思議と今でも忘れない。 あの時の母の背中のぬくもりは、私の記憶から離れない。 (第2部) 結婚してふたりの子供に恵まれた。 始めは男の子。3年して女の子。 二人とも親がいうのも何だが、良い子に育ってくれた。 いやいや、決して世間で言う良い子とか、 人様の子と比べて良い子と言うのではなく、なんていうか 子供の心身の活動範囲が、親の許容範囲と運良く合致している ・・と言うことかな。 勿論、子供はどんどん今でも範囲を広げているから、 親も負けずに許容範囲を修正してるけどね。 ウチの許容範囲がかな〜り広い上に、境界線もアバウトだから いつまでも、あの子達は親に良い子と言ってもらえるのかも。 ああ、話が脱線しそう。 娘が産まれてから、息子は多少の赤ちゃん返りはあったものの すぐに妹をとてもかわいがる模範的な(?)お兄ちゃんになった。 私達は、息子に対しておにいちゃんとか、男の子とか という言葉は、今の今まで発したことはないが、 それでもそういう意識を、 知らず知らず植え付けていたのだろうか。 小学校にあがる頃は、すっかり男の子らしく(?) おにいちゃんらしくなり私にベタベタすることもなくなった。 時々私が彼を抱いても、照れくさそうにしてちょっと抱かれるだけ。 すぐに妹がヤキモチで飛んできて、兄に取られまいと私に抱きつく。 息子も、それを待っていたかのように離れ、すぐ脇でニコニコとそんな妹をみている。 私は、それを子供の成長と思いながらも何かが引っかかっていた。 娘を抱きながら、そして側でいつもニコニコと見ている息子を見ながら 何かを思い出そうとしていた。 (第3部) 晴れた日の夕方。夏が近い季節。我が家の居間。 小学校低学年の息子がテレビを見ている。 妹は、隣の部屋で幼稚園の制服のまま、昼寝。 私は良く乾いた洗濯物を籠に一杯入れて、おもむろに 息子の隣に座る。 洗濯物を畳みながら、時々首を回して、ため息混じりにつぶやく。 「ああ〜、なんだか、疲れたなあ〜・・」 息子、振り向いて答える。 「疲れちゃったの?肩、たたく?」 「ありがとね、今日、ママ頑張ったから エネルギー使い果たしちゃったよ」 息子、にこっと笑って立とうとする。 私、何気なく言う。 「ねえ、充電してくれない?」 「ジュウデン?」息子、首をかしげる。 「そ、充電。」 そういうと私は息子の手を取って、向かい合う形で膝に座らせた。 そして、戸惑う息子をぎゅうと抱きしめて言った。 「じゅう〜で〜ん!」 あとは、そのままじっと、ただ抱きしめ続けていた・・。 唐突な私の行動に、始めは驚いた様子だったが、すぐに抱きしめ返してきた。 「ママに じゅうで〜ん!!」 「じゅうで〜〜ん!」二人とも負けじと抱きしめ合う。 「痛いよ、ママ」 「だって、充電だもん、○○ちゃんからエネルギーもらうもん」 どのくらいの時間がたったろうか、息子が私に聞く。 「ね、元気になった?」 私、答える。 「うん、○○ちゃんから元気をもらった! ねえ、ママにこれからも充電してくれる?」 「うん!いいよ!!」 息子は元気に私の膝の上から飛び出していった。 それから 彼は思いついたように私に充電してくれるようになった。 たまには、自分から大袈裟にうなだれながら 「なんか、俺、疲れちゃったよ。ちょっと充電たのむぁ〜」 なんて、わざと大人びた口調で申し出ることもあった。 そんな時は何をしててもその手を休めて さりげなく、はいよ〜っと言って手を広げる。 じゅうで〜ん! |
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| 私の出会った先生 「余りのある割り算」 |
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最近、何かと悪いニュースで話題が多い学校の先生。 うちの二人の子供も今まで何人もの先生と御縁がありました。 いろいろな先生がいました。 でも、ニュースで流れる先生ばかりじゃありません。 こんな先生もいます。 ・余りのある割り算(T先生) 娘が小学校5年生になった時、クラス替えがおこなわれた。 新しい担任は40代後半の小柄な女の先生。 二人の女の子の母親だという。 初めての授業参観に行った時、 サッパリしている中に気配りのある印象を受けた。 今回、初めて同じクラスになった男子の中に 非常に落ち着きのない子がいた。 参観日でみんなが多少は緊張しているのに、 ひとり嬌声をあげて歩き回っているのだ。 昨年まで その子と同じクラスだった子のおかあさんに訪ねると、 一年生の頃からずっとそうで、どの先生もお手上げ状態で 好き勝手にさせているという。 家庭もいろいろ事情があるようで、参観にも来たことがないとか。 ひとりだけクラスから浮きながらの学校生活・・ 今までの4年間、授業や学校行事は、 彼の関係ない所で進んで行ったように思われた。 その後 授業参観に行くうちに、 その彼が机に座って教科書を開いている姿が見られるようになった。 まだまだ落ち着きは無いが、確かにクラスになじんでいる。 解らないながら隣の子の答えを見ながら問題をやっている。 先生も、さりげなく授業をしながら 「ね、そうだよね? Tちゃん」と声を掛ける。 娘の話題の中にも、その子「Tちゃん」が 友人としてしばしば登場するようになった。 そしてある日、娘が目を輝かして学校から帰ってきた。 「おかあさん!Tちゃんがね、余りのある割り算ができるようになったよ!」 話を聞くと、T君は今まで基本的な算数を 覚えないまま此処まで来てしまったので 先生やみんなが一緒に、少しずつ 補習のように勉強に付き合っていたという。 そして、今日の放課後、 みんなの前でT君が黒板に書かれた問題・・ 「あまりのある割り算」を解きはじめ・・ みなで息を飲んで見守り・・とうとう、出来たのだそうだ。 その瞬間、誰ともなく教室中に大きな拍手が湧いたという。 その光景を、娘は嬉しそうに目を輝かせて一気に話してくれた。 私も胸が詰まりながら、T君の頑張りや、 先生とクラスメイトの根気に拍手をする一方 こうして友人の事を、 自分のことのように喜べるクラスにしてくださった先生に 感謝・敬服の気持ちでいっぱいだった。 T君は、それからも進んでクラスの仕事をこなし、 学年の終わりの授業参観には目が輝き、 4月とは別人のようになっていた事を是非、付け加えておきたい。 |
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| 余りのある割り算 (その後) |
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| 「余りのある割り算」を掲載して、いろいろな、色々な方から感想を頂いた。 おおかたは、ご自分(のお子さん)の関わった先生との話。 皆さん、いろいろな経験を積んで来られたのだなあと改めて実感した。 その中に、ホームページを開設した日に来てくれて、以来とても 仲良くしてくれている「たみちゃん」がつぎのような書き込みをしてくれた。
しみじみと暖かい思いを感じたのは私だけではなかったはずだ。 たみちゃんの書き込みの最後の一行に、N先生への想いが込められて 私も思わず「 お元気でいらっしゃること、信じてます。」と書いた。 そして・・それから5日後。 私や、この掲示板を読んでくれている人達にとって 信じられないような朗報が飛び込むのである。
たみちゃんの驚きと喜びが ストレートに伝わり、こちらまで興奮してしまった。 こんな事ってあるんだ・・。 たみちゃんが言うように、まさに「うそのような、ほんとの話」 このあと、たみちゃんとうちの掲示板に、感動した人達の書き込みが押し寄せたのは 言うまでもない。 |
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| 家族スケッチ2 「交換ノート」 |
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| こども達と離れているとコミニュケーションの手段として「メール」が我が家では欠かせない。 連絡は勿論、今はカラフルなカードも瞬時に送れて、便利になった。 我が家は、こども達が思春期(受験期)の大事な時に、 ダンさんが単身赴任だった事もあり、メールは本当に役立った。 子供も肝心な時はメールで近況報告していたようだった。 今でも、連絡の殆どはメール。込み入ってくると流石に電話になるが、 お互いに都合のよい時に見ればいいメールは、 忙しい家族には大事なコミニュケーションの手段となっている。 娘からのメールをダンさんが、嬉しそうに読んでいると、私の記憶は15年前にさかのぼる。 **************************** 昭和63年から平成元年に掛けて 会社のダンさんが所属する部署で大プロジェクトがあった。 それこそ過去にも将来にもないだろうという程の忙しさ。 帰宅が夜中の2時、3時は当り前。 朝も多少の時間差は黙認されていたが、 それでも数時間寝ては出勤、という日々が続いていた。 今だから言えるが、後に身体を壊して亡くなった方もいるほど過酷な日々だった。 私は当時、小学生と幼稚園の子供の面倒をみながら、 どうやってダンさんの健康を維持するか、精一杯だった。 真夜中に帰って来たときは子供は当然寝ている。 朝も、早く出るか、逆に寝ているかで、 当時、ダンさんは子供達と顔を会わす事はほとんどなかった。 小学生の兄は、事情は多少わかっていたが、幼稚園の娘は、 いつも父と会えない事にストレスを感じていたようだ。 ある日の夕方、テラスの窓から外を眺めていた娘、 突然、ガラス窓に両手と顔をピッタリ着けて 「なんで、うちのパパはおうちに帰ってこないの〜」とエンエン泣き始めた。 見ると、外には隣のご主人が会社から帰って来て、子供に迎えられているところだった。 私は泣いている娘に何と言っていいか解らなかったが 子供にとっては、何か月もほとんど顔を合わせないと言う、今までにない異常事態に 子供心にストレスがピークに来ていたのだろう。 物事が解っていて、何も言わない息子だって、気持ちは同じに違いない。 そこで私はダンさんと相談して、1つの方法を試みた。 それは「交換ノート」 息子と娘に、それぞれ絵日記風のノートを渡し、 そこに寝る前に「パパ」宛に手紙を書かせる事にしたのだ。 息子「パパ、おかえりなさい。きょう、スイミングで平泳ぎ10本泳ぎました。 つかれたけど帰ってきてから、おいなりさん(いなり寿司)をたくさん食べて、 ママがビックリしました。おやすみなさい」 娘「○○ちゃんと、りかちゃんであそんだよ。ぱぱ おしごとがんばってね」 寝る前にノートに書いて寝る。 夜中に帰って来たダンさんは、どんなに疲れていても必ず返事を書いた。 「○○君へ ただいま。よくがんばったね。もう平泳ぎはパパより上手だね。 これからもいっぱいれんしゅうして、いい選手になってください。 ママがつくったおいなりさんをたくさん食べたと、ママもよろこんでいたよ。」 「○○ちゃんへ きょうも ようちえんでみんなとなかよくあそびましたか。 ぱぱも おしごとをがんばって はやく○○ちゃんとあそびたいね」 こうした日記はどのくらい続いたか・・結局プロジェクトが立ち上がって落ち着く頃には いつのまにか交換日記も立ち消えになっていた。 毎日交換日記をしているうちに、父親の存在を確かなものに感じて、 日記という手段を取らなくても心が安定したのでは・・と思う。 **************************** ・・あれから15年。 子供達は大学生になり、交換日記はおろか、メール交換も父親とは たまに、になった。 でも、娘は今でもあの、ガラス窓に顔をくっつけて泣いた日を、 おぼろげながら覚えているようだ・・交換日記をした思い出と一緒に。 |
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サンタさんへの手紙 (その後) |
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| 先日、子供達が小さい頃、欲しいプレゼントを書いて サンタさんに手紙を出した事を「今日のビタミン」で書いた。 「サンタさんへの手紙」ー今日のビタミンよりー
この子供達の手紙は無事にサンタさんに届いたのかな。 あの年のクリスマス・イブにビデオを撮ってあるので、その再生をしてみよう。 (場所) 我が家のリビング 家族だけのクリスマス・パーティーの夜 テーブルの上に、手作りのケーキやチキンが並んでいる。 子供達、特に息子は楽しみながらも落ち着かない。 時々、玄関に行って玄関のガラス越しに外を見ている。 (友達の家は、サンタクロースが夜中に来て、 枕元にプレゼントを置いて行くというもっぱらの噂だが、 我が家は煙突もないし、夜は鍵を掛けてしまうので、 毎年24日の夜、なぜか玄関に置いていくのだ。) パーティーも大体終わった頃、玄関で何か小さな音がした。 「あれ?なんだろう?今、音がした!」と息子。 「え?そう?聞こえなかった」と私達。 「行ってみたら?」ビデオを回しながらダンさんが言う。 「え〜〜・・でも・・怖いよ。○○チャン(妹)も行こうよ。」 「え〜〜・・やだ!」と言いながら、それでも二人で玄関の外へ。 と、まもなく 「あった〜〜!!」と二人の大きな声。 そしてそれぞれ、大きな包みを抱えて玄関に入ってきた。 息子は、興奮気味に、カメラのレンズに向かい 「僕ねえ、聞いた!ドスーンって! サンタさんがプレゼントを置いた音!ドス〜ンって!!」 娘も、きゃっきゃとはしゃぎながら、身体ほどある包みを 「ヨイショ、ヨイショ」と大袈裟に身体を左右に揺らしながら運んでいる。 リビングに帰ってきてからがサア大変。 包みを開けながら、妹は「綿あめ、綿あめ」と唱えている。 出てきたのは・・欲しかった「綿あめ製造器」だった。 息子は・・というと、 息子が欲しかったものは高さ10センチほどの一体数百円の人形。 なのに、包みはかなりの大きさ。 開けてみたら・・大きなヒーロー物のプラモデルだった。 息子はちょっと意外そうな顔・・ 「セイントセイヤかと思った・・」 「だって、こんな大きな箱のわけないじゃない」と私。 彼は苦笑いして「セイントセイヤがイッパイ入ってるのかと思った。」と。 ダンさん、カメラを構えながら笑っている。 (実は、この数日前、ダンさんの妹が、息子にセイントセイヤの人形を 何体もプレゼントしてくれていたのだ。。 サンタクロースとしてはプレゼントがダブルのも憚られ、 更に兄妹の間の品物の釣り合いも考えて、敢えて違う品物にしたのだ。) 多少のドタバタはあったが、すぐに息子もサンタクロースから貰った品物を喜び その後のリビングは、プラモデルのキッドが散らかり、綿あめの甘い匂いが漂った。 残念ながら、ビデオにはその匂いは記録できなかったが。 あの時の事を、後にも子供達は興奮して言っていた。 「ドスン!ってプレゼントを置く音がしたんだよね。絶対した!」 記憶の中でその音はダンダン大きくなっていったようで、 まるでトナカイごと、サンタクロースが落ちて来たかのような音に、 いつの間にかなっていた。 今でもその時の事を思い出して、息子はいう。 「不思議なんだよね。あの時、(トリックを)どうやったの?」って。 私は答える。 「さあ・・サンタクロースに訊いてみれば?」 |
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二人の長い長い週末 乳ガンの疑いあり |
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| 文章の構成から言えば、始めに書くことではないけれど ここでは構成よりも無駄な気遣いをして貰うことを避けるために敢えて書きます。 「私は乳ガンではありませんでした。」※参照 それが判ったのは3日前の月曜日の午後 乳ガンの疑いありと言われ、自分でも確信したのが先週の金曜日の午後。 この丸々3日間を私は「二人の長い長い週末」と称して ここに記しておきます。 人から見たら、ふたりの珍騒動ですが、かなりかなり貴重な経験だったので・・ 多分、長くなりそうな気もするし最後までキチンと書けるかどうかも判りません。 何回かに分けて此処に載せるつもりですが、 読んで貰うのを最優先にした文ではないので 読まれる方にはわかりにくい部分もある事をお断りしておきます。 (ダラダラの稚拙な文なので、暇で奇特な方だけ、お読み下さい) ※読んでくだされば、お分かりになりますが、実際には乳ガンだったと、判明しました。 でも、この時点では判定が「シロ」と思いこんでいたので、こういう記述になりました。 消そうと思いましたが、 この時の気持ちは大事にしてそのまま残し、この部分を加筆しました。 (1)人間ドック当日(15.5.23) 夫婦揃って人間ドックの日。 久しぶりの検診に億劫な気持ちもあったが 主人が強引に申し込んでくれて受診することになった。 受診着に着替えて、体重、身長、血圧、視力などから 計測していく。 主人が一番気にしていた血圧が、なんと平常値だったり 私の身長が伸びたり体脂肪が減ったり・・ ふたりで相手の数値を讃えたり冷やかしたり・・ 二人で受ける受診は思いの外、楽しかった。 ドックは女性だけが通常のコースの他に 乳ガン検診(触診)と子宮ガン検診がある。 乳ガン検診を受けるために診察室へ入り、診察台に横になる。 医師が手際よく右の乳房から触診する。 結構強く丁寧に触診するので痛かったり くすぐったかったり。 脇の下もつまむように触診して、それから左へ。 同じように触診しながら 「レントゲン、受けたことある?」と唐突に聞く。 「え?レントゲン?」 乳房検診は受けたことはあるが、触診だけでOKになるので 多分受けたことはないと思う。 そんな事を考えている間も、左の乳房を丹念に触診しながら 医師は「なんかゴツゴツしてるんだよねえ・・特に左が・・」 と言っている。 そして「レントゲン、受けて!あとで予約して」とキッパリという。 「は〜い・・ありがとうございました」 衣服を整えてドアの外に出ると主人が椅子に座って待っていた。 ニコニコしている。 多分、私が触診がイヤだった・・と言うとでも思っていたんだろう。 私もニコニコしながら 「それがあ・・レントゲン受けろだってぇ」というと、一瞬笑顔が消えた。 「え?なんで?」 「それがさあ、ゴツゴツしてるんだって・・骨よ、骨。 寝かせて触るんだもん。ぺしゃんこになっちゃうから骨が触れたのよ」 内心、ちょっとは気になったが、私の乳房に異常があるなんて どこの部位よりも考えられなかったので、多分医師の勘違い・・ そんな軽い気持ちのほうがその時点では勝っていた。 その後、胃の検査、心電図、血液検査など一通り終わって 食事をしてから個人個人に医師からの説明と保健婦さんからの説明。 まず、主人が医師に呼ばれ、短時間でに帰ってきた。 特に再検査はないようだ、良かった! 次は私。 説明してくれる医師は女医さんだった。 テキパキと検査結果を説明してくれる。殆ど異常なし。 ただ胃のレントゲンの結果は「胃カメラ」をする事。 もともと胃炎の気がある私は、それは予想をしなかったわけでない。 そしてもう1つ・・乳ガン検診。 「これも引っ掛かったのよねえ」 カルテをじっと見る医師。 「次に説明してくれる保健婦さんと相談して受診日など決めて下さい」という。 保健婦さんの所に行くとまだ若い柔和な面持ちも女性だった。 乳ガン検診のカルテを私に見せながら 「左のこの部分に固いしこりがあるんですよね・・」 「乳腺炎ということもありますが・・・」 「ここは混んでいるのでお近くの病院でもかまわないんですよ。 その後のCTスキャンなどは、こちらでやる・・ということでもいいんですよ」 時々「腫瘍」という言葉が遠慮がちに出る。「ガン」という言葉は使わない。 結局、以前胃カメラ検診を受けたことがある近くの病院なら、 両方受診できると言うことで、そちらにした。 胃のレントゲン写真と、乳ガン検診のカルテ、紹介状が大きな封筒に入って渡された。 「ご自分で開けないで、このまま病院に渡してくださいね」 部屋を出て、待っていた主人と駐車場に向う。 その頃の私は「ヤケに大袈裟だな」と思い始めていた。 車に入ると、私は服の中に手を入れて、カルテに書かれていた場所を触ってみた。 左乳首のすぐ内側・・一瞬、心臓が止まった。 わかる・・わかるなんてものじゃない。 ハッキリと大きな固いしこりが指の先に触れた。 続く (2)帰宅 「なに・・・これ・・」 主人の方を向くと・・私はその時、どんな顔をしていたのだろう。 主人は思わず手を私の胸に持っていく。 「・・・・あ!」 あとは二人ともしばらく無言だった。 それから車を走らせて・・今はよく覚えていないが、とにかく 私が助手席でペラペラ喋りっぱなしだったように思う。 「私はたいして気にしてないから。」そんな雰囲気で話をしていたと思う。 黙って運転している主人の気持ちを考えると、たまらなかった。 ちょうど、家には用事で娘が帰省していた。 娘には今は何も言わない、余計な心配させない・・これが車の中で決めたこと。 「ただいまぁ〜!」いつもより、元気な声。 家に帰ると娘が屈託なく、主人をパソコンショップに誘う 二人が外出した後、近くの病院に電話すると、月曜日に予約が取れた、良かった! 結果が予想出来ているからって早いに越したことはない。 このまま、悶々と何日も日が過ぎるのは流石にちょっとキツイ。 洗面所で胸を開いて見てみる。 左の乳房がもともと少し大きい。 場所を意識しないで触れて見ると、自分では外側から触れていくので 内側はあまり触らない。 しかも乳首の傍なので多少固くても見過ごして・・いやいや このしこりはそんなレベルのものではない。ゴリっと大きな塊が触れる。 思春期に胸が発達する段階で、また生理が近くなる時に 乳首の周りが固くしこった事があるがあれのもっとハッキリと固い感じ。 これが癌なのかあ・・以前、癌検診の時、予防という意味で 乳ガンになった状態の乳房の模型に触った事がある。 その時、本当に中に固体が入ってる感じでその感触に驚いたが・・ 今、自分の胸がそうなっている 続く (3) 帰宅2 帰宅してから月曜日の再検査当日までの事、細かに思い出そうとしても まるで靄がかかったようなウッスラした場面が多い。 帰省した娘と一緒に過ごす間は、いつもの二人と何の変わりもなかったと思う。 いや、いつもより張りきって元気だったかも。 娘から見て、どこか様子が変だったかどうか・・それは聞いてみないとわからない。 だが、娘が何かの拍子に「天然ボケ」風な言葉を発してしまってから、 主人に「しまった!私もお母さんの子供だって、証明されてしまったよ!」なんて 冗談を言っていたくらいだから、多分、気づかなかったと思う・・ 娘は用事で帰省していたので滞在している間も外出が多く、二人になる時間が多かった。 この時間の二人の会話は細かに記したらきりがないし、 B級のメロドラマのようになってしまうのであまり詳しくは書けない。 ただ、主人の動揺と、それとは裏腹の「何にも心配するな。おれに任せておけ。」 その言葉が、嬉しくて・・でも主人の気持ちを考えると辛かった。 (4)翌日の土曜日(15.5.24) 客室の障子を貼り替える予定があったので予定どおり張り替える。 実は近々、新聞社が取材に来てくれる事になっている。 昨日の一件でキャンセルも考えたが、やはり取材を受けようと言うことになった。 できたら悪夢であって欲しいけれど、覚悟の中で相手への思いがイヤという程溢れた。 そんな思いも含めて取材の方に聞いてもらおうという事になる。 入院ということになれば、この取材もいい想い出になるかも知れない。 猫が破いてしまった障子を貼り替える。 簡単に出来るので、私だけでじゅうぶんなのだが、主人が傍を離れない。 深いため息をつきながら私の手を強く握る。痛いくらいに強く握る。 私は・・というと、何故か頭の中が妙に涼しかった。 完全に乳ガンだと確信したのに、それへのパニックがない。他人事のようだ。 それよりもまず、家の中をかたづけたり、諸々の手続きをしなくちゃ・・ ということばかり考えていた。 衣替えを終わらせないと・・主人が困る。 来月予約している宿を忘れずにキャンセルしないと・・ スポーツクラブ・・また始めるぞ。リハビリになるし、こんな事じゃやめたくない。 でも、左手は動くのかな。いいや、右だけだってできる。 だから退会じゃなく休会にしたいけど・・そのシステムあるのかな。 猫の世話は主人もできるし・・時々、外の生まれたばかりの野良猫のことも見て貰おう。 思えば、家族のことや入院・手術のことなど、もっと肝心な事があったのに ツマラナイ事ばかりを真剣に真剣に考えていた。 今、思うと一番辛い現実を考える脳の一部分に 知らずに自分でシャッターを下していたのかもしれない。 時々、主人と抱き合いながらポロポロと涙が止まらなくなったが、 あとは我慢というより他のことを考えていた。 なによりも私を冷静でいさせたのは、主人が傍にいて気持ちも寄り添ってくれたから。 癌が襲ってきたのが、私で良かった。 愛する主人や子供達でなくて、本当に良かった。 何かの力が私を癌にしたのなら、その事は感謝してもしきれないくらいだった。 それに・・私は今、主人に愛されて幸せで幸せで 勿体ないくらいの思いをさせて貰っている。 もしも何かあっても、少しも悔いはない。 主人にそう言ったら・・怒って・・泣いた。 (続く)
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続・二人の長い長い週末 (告知まで) |
(1)週末明けの月曜日(病院へ)(15.5.26) なんとなく眠れないまま迎えた朝、 主人が何度も「一緒に行かれなくてゴメンね」と言いながら出社した。 9時からの診察だが8時半ごろつくと既に待合室は一杯。 そうか・・きょうは月曜だったっけ・・ボンヤリとそんなことを思う。 かなり待たされてから名前を呼ばれて診察室へ。 「自分で判らなかったの?」恰幅の良い院長が触診しながら言う。 マジックでしこりの所に大きく印を付けてレントゲン室へ。 その後すぐに胃カメラ診断。 その間にお喋りした看護婦さんと、こんな会話を。 私「まさか、自分がひっかかるなんて思わなかったなあ」 看「今はね、誰でも他人事じゃあないのよ。お子さんは?」 私「大学生ふたり」 看「あら、そんなに大きいならまだいいよ。これで小さい子がいると大変だから」 話しているともう私の病名は決まっているような話し方。 でも全然腹も立たず、却って気が紛れていた。 軽く言う言い方に「癌って、たいしたことない病気なのかも」と思ってみたり・・ 胃カメラは院長がやってくれた。かなり上手で何ともなかった。 私もすごく診察され方が上手いと褒められ、こんな時なのにちょっと得意な気分。 しばらくしてからまた診察室へ。 結果だけ聞くのかと思ったらまた診察台に乗せられて触診。 いよいよだな・・そう思った私に言った医師の言葉。 「レントゲンの結果はなんでもないよ。」 え?一瞬聞き間違いかと耳を疑った。 「癌・・じゃ・・ないんですか?」 「癌〜?違うよ。何だ、癌だと思ってたのか」 「はい・・絶対・・」 「で、切ろうと思ってたのか!」 私、頷く。 「ははは、それは良い心がけだ」 その後、腰砕けになりそうな私に医師は 私が乳腺症であることを絵に描いて説明してくれたが、良く覚えていない。 ただ、診察の最後に「そうは言っても念のため・・」と 胸のしこりに向って3箇所から、注射をした。 「ほら、まだオッパイが出てくる・・」 そう言えば私は左だけ、何年も何年もお風呂で乳首をつまむと オッパイが出てきたなあ。 癌じゃないと断定された私はもう、気分はフラフラで 注射の意味も考えてなかった。 しこりを小さくするクスリだと思いこんでいた。 胃炎の方が問題だよ。と先生に脅かされ、一週間分のクスリを貰う。 点滴をして帰るように言われ、別室に。 そうだ!主人に知らせないと!早く知らせたい! 看護婦さんに言うと、メールを打つことを許してくれた。 「癌じゃなかった!今、点滴中!」やっとそれだけ打った。 少し経つと多分会議中だったろう彼から「!!!」と2度返信が。 ビックリマークが踊っていた。 (続く) (2)喜びの一週間 ガンではなかった・・それは二人にとって、あまりにも思いも寄らない結果だったので その喜びはちょっと表現できない。 まだ生きられる・・大袈裟じゃなくそう思った。 ダンさんと私がどういう一週間を過ごしたか、何を話したか それはここでは、とても書ききれない。 ここからの一週間の出来事・・事実だけを簡単に書いていこう。 月曜日。 つまりその日の夕方、近所の親しい友人がパン粉を借りに来る。 玄関先で、「乳ガンの疑いがあって、ドキドキだったのよ」と話す。 「今は乳ガンはそんなに珍しくないからね。」などと友人が話して別れる。 火曜日。 人間ドック以来、5日ぶりにジムに行く。 いろいろな人が声を掛けてくる。 「どうしたのかと思った。夜の部はテンション高いから面白いって言ってたから 昼間は来たくなくなったのかと思った。」 「具合が悪いなんて考えられないから、ご両親でもなにか・・と思った。」 人間ドックと、胃カメラの話をした。 コーチには体脂肪の数字や身長が伸びた事を言って喜ばせた。 今思うと、何故だったんだろう。 乳ガン検診で引っ掛かって、シロだったことは 誰にも言わなかった。 夕方、友人が来て、明日の水曜、いつものメンバーで飲み会をするから、と誘われる。 「ああ、残念!明日の夜はダンさんとデートだから、ダメだわ」 「あら、いいなあ。何処行くの?」 「わかんない。ダンさんにお任せ。」 そう・・・祝杯だった。 水曜日。 長野駅近くの割烹で祝杯。 胃炎があるから、ホドホドにしながら、それでもシミジミと時間を過ごす。 何度も二人のコレからに乾杯。 結果はシロだったけど凄い体験をしたと振り返る。 人には寿命があるけれど、普段はなんだか永遠に生きられるような おごり高ぶった錯覚がある。 今回はその事を厭と言うほど知った。生きていることの意味、 今、自分がしたいこと 今、出来ること・・ そんな話に花が咲いた。涙が出て仕方なかった。 その夜、信州に旅行に来ていたネット友達(ご夫婦)が 長野駅の高速バス乗り場にいる時間が判っていたので アポもなく、突然会いに行く、という無茶をやった。 (このことがあったので、ダンさんは祝杯を水曜に駅周辺にしたらしい) こちらの突然の非礼にもかかわらず、 近づいて声を掛ける前に「あっ!」と判ってくださり喜んでくださった。 私たちも感激。握手して別れる。わずか、10数分だったが・・ ありがとう。 木曜日。 「二人の長い長い週末」を書き始め、順次UPしていく。 こんな体験、なかなか出来ない事だし、シロとは言え人生観が変わってしまった出来事。 書いておきたいと思った。ただし、心配を掛けないように「シロ」だったことは最初に明記。 昼間のジムでは、仲間に「明日は来客があるから来れないかも。」と言っておく。 金曜日。 その来客。 夕方、新聞社の女性記者が家にきてくれる。 何度かメールや電話で話した後の訪問。 マスコミ関係の取材は2度目なので、二人とも少し慣れる(?) お子さんもいる、感じのいい方で、ダンさんと3人、話が弾む。 取材を受けることに多少のタメライはあった。 友人達に一切知らせてないHPの存在が全国新聞に載る・・ でも、判ったら判ったで、それも又良し、かな。 見てくれて、私たち夫婦の考え方を判って貰いたい・・そんな思いも湧いてきた。 自分達にとってHPは思った以上に大切なものになっていた。 乳ガン騒動も雑記帳を読んで知っていてくれた。 彼女が言った。 「私の母も30代で乳ガンの手術をしましたが、今、ピンピンしてますよ。」 今思うと・・ ありがとう。 土曜日から日曜日 特に何処へ行くでもなく過ごす。 実はこの月曜日の午後から金曜日まで、 ダンさんがとても大事な役割で出張を控えている。 この一週間、ずっと書類などの用意もしていて、忙しそうだった。 私がシロと判ったので、その役をそのまま引き受けて、準備を続けていたのだ。 この週末は、その仕上げの準備をしていた。 「ダンさんなら、大丈夫よ。」そう励ましながら、 私はお気楽に土曜の夜はジムに行って、 若い子達に交じりながらエアロで汗を流していた。 (3)再び週明け・・病院へ 先週、病院から一週間後にまた来るように言われ、出かけた。 胃薬も一週間分しかないので、その補充だろうかとも思った。 しばらくして、まず別室で血圧を計る。 その時、珍しくいつも100に満たない上の血圧が120近くになった。 「あら、珍しい」私がそういうと 「緊張してるのかな」と看護婦さん。 (ん?なんで緊張する必要があるのよ) 私が「今日はなんで来たのか判らないんだけど・・胃?」 と、聞くと、看護婦さんは少し意外そうに 「それもあるけど、オッパイの結果も聞かなくちゃ・・」と、いう・・ ん?オッパイの結果? だって、この間あんなにハッキリ「違う」って言われたのに、なんで今頃? それから、長い長い待ち時間。 自分で「あれ〜?」と思った。 なんだか、厭〜な感じなのだ。理由は判らない。 でも、この感じはなんだ。なんでこんなにドキドキするんだ? 先週「乳ガン」の告知を受ける覚悟をしてきたときだって こんな感じはなかった。 「胸騒ぎ」・・ってヤツ?まさかね。 いまさら、それはないでしょう・・気のせいよ・・でも・・ 昼近く、やっと順番が回ってきて診察室へ。胸の動悸はそのまま。 院長の前に座る。 院長が私の目を真っ直ぐ見て言う。 「この間、細胞を取って調べたらね、 大丈夫だと思ったけど癌になりかけだったよ。 このままだと間違いなくすぐに癌になるよ。」 「(癌だ!)」 胸の動悸がピタリと止まった。 今は告知すると思ったら、こういう言い方をするのか・・先生流の言い方? 「癌じゃないんですか?」 「いや、癌じゃない。今はね。だから・・」 と私に説明した治療の方法は、癌でなくては到底考えられないものだった。 「いつ・・ですか?」 「そりゃあ、こうやって大きくなってるし、早いに越したこと無い。 今日でも明日でも入院して今週木曜に手術」 (もう、予定に入ってる・・) 「え?そんなに急に〜?」 「そりゃそうさ〜、善は急げだ」 「でも・・今週は主人、出張なんですけど・・」 「いいさ、居なくたって。盲腸の手術みたいなもんなんだから・・」 「どのくらいの入院?」 「術後、一週間くらいかなあ」 (嘘ばっかり!そんなですむわけないだろう。でもそれだけ急いでるんだな、先生) 「帰って相談してもいいけど・・早いほうがいいよ。」 先生と私の会話の間・・ 笑いながらノンビリ言ってる院長の目が・・真剣だった。 「いえ、お願いします。命が大事ですから」 頭を下げた。 「・・ヨシ!良い覚悟だ」私の目を見て、小さな声でハッキリ言った。
流石に今日中の入院は無理なので明日の午前中という事にしてもらう。 今日中にできるだけ検査はしてしまうからと、それからもしばらく帰れなかった。 血液検査、レントゲン、心電図・・麻酔が身体に適応するか・・など。 私は頭の中でダンさんのことを考えていた。 ダンさんは今日の午後から大事な出張。どうしよう・・ 今、知らせたらきっと仕事が手に付かなくなる・・ 金曜日に帰ってくるまで知らせない事は可能か? 思考回路がマトモに動いてなかったと思う。 そんな、出来るワケのない事を真剣に考えていた。 でも結局、十数分後、まだ出張に出ていないダンさんに電話をかけていた。 そして、その直後、出張を中止し、しかも一週間休みを取ったダンさんが タクシーでこちらに向っていた。 終わり |