再建記録

この再建記録を書いた当時、自分の記録という目的のほかに
同じ病院で同じ方法での手術をする人へ
なんらかの参考になったら・・と書いたものなので
一般の人にはわかりにくい内容かもしれない。

でも、斜め読みでもいいのでしていただけたら・・
そして何より、今の私を知ってる方は
こういう体験もしてきているとわかっていただけたら・・
                ★再建談を書こう!


再建を決心して、佐武先生を夫婦で訪ねたのが6月15日。

再建手術を受けたのが11月14日だから

ちょうど5ヶ月、再建のための身体や心の準備をしていた事になる。

初めて市大病院に来た日が、ついこの間だったような

でも遠い昔だったような・・

なんとも不思議な感じがしている。

それは私だけでなくいつも一番の私の応援団であるダンさんも同じ思いのようだ。

この5ヶ月の準備期間、そして入院、手術、退院後と

私達が本当に助けて貰ったものの一つに

先輩達の「体験談」がある。

実際に再建をした時の話を聞くことは、本当にいろいろな意味で力になった。

この術式については多少は勉強したし、本も読んだ。

でも本に載っているのは当然ながら顕著な成功例と

術後かなり経った時の完成された再建胸。

でも実際は人それぞれ、手術に対する思いも違うし

手術の仕方もその後の経過にも差がある。

不安材料だってみんな一つや二つはあるけれど、

それだって人に依って様々。

そういう事を知った上での再建だったので

ちょっと何かあっても「自分だけなんだろうか」とか

「こんなでいいのか」なんて余計な不安を抱かないで済み

結果的にそれがとても順調な回復に繋がったのかも、と思う。

だから今度は私も「再建談」を書こうと思う。

私の場合はとても順調な部類に入るけれど

それでも大手術を受けたわけだから

身体がビックリして予期しない反応を示したこともある。

そんな事も「些細な事」と流さずに書いておきたいな。

もしかして後から再建する人が同じような経験したときに

「あ、こんなこと、どこかに書いてあったな、同じだ・・」

なんて安心して貰えたら嬉しいもの。

でも入院中、そして今でも私が自分の身体の声を聞いて思う事。

比べるのは「人と」じゃない。
比べるのは「昨日の自分」と。

手術当日よりも3日後の私。退院した日より今の私。
一昨日より昨日、昨日より今日、今日より明日。
自分が元気になっていたら、それが「経過良好」の証。

まずは入院編

アバウトな性格でメモも何もないけれど

思い出しながらコツコツと書いていきます。

                              
                                  2006年12月6日 記

 入院雑記1

 入院当日
〜手術終了まで
入院は手術前日の2006年11月13日。

明日に手術を控えているので、

手術後数日の間だけナースセンターのすぐ傍の個室に入る。

あとから聞いたら私は始めから個室に入れたが

病院の都合などで必ずしも個室に入れるとは限らないそうだ。


その日は入院手続きの後

身長、体重、血圧など一連の身体測定や

シャワーを浴びた後

主治医による胸とお腹へのマジックインクでの印つけ。

主治医が時間を掛けて手術や出来上がりをイメージしながら

お腹と胸をキャンバスにペンを動かす。

医師というより芸術家みたい。

麻酔科の医師や主治医からの細かいインフォームドコンセントもある。

ここでは、いつも「ノープロブレム」と明るく言ってる主治医も

ちゃんとリスクや後遺症など、懇切丁寧に話す(当たり前か)

ここで初めて、結構リスクがあるんだ〜って知る人も

中にはいるんじゃないかな・・なんて考えながら聞いていた。

夜9時以降は食べられないし、12時以降は水も駄目。

明日は一日中食べられないのだし

次の日も吐き気で食べられないらしいから、今のうちにと夕食は完食。

差し入れのお菓子も食べて明日に備える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


次の日は朝8時半には手術室に入るので

早くからダンさんが来て支度を手伝ってくれる。

支度と言ってもパジャマから浴衣に着替え、

「弾性ストッキング」なるスリムウォークの太股まであるような

医療用のストッキングを履く。

8時25分に看護師さんが迎えに来て、ストレッチャーで・・じゃなくて

歩いて手術室に向かう。

ダンさんとは病室で「頑張れよ」「うん、頑張る」と手を握り合うはずが

「ご一緒にどうぞ」と言うことで

看護師さんと3人でスタスタと手術室の前まで。

「じゃあね〜」っと自動ドアの前で別れたのでした(^^)

毎朝の出勤の時の玄関でのお見送りよりももっとアッサリしたものだった(笑)

手術室では自分で手術台に乗って

先生や看護士さんのとてもとても丁寧な説明を受けながら麻酔をされる。

今、自分が何のために何をされているのかがとってもよく分かって

私はエラク感動してしまった。

「私はなんて素晴らしい病院で手術を受けられるんだろう!」って。

こんなことに感動するって奇異に思う人もいるかもしれないけど

私には本当にカルチャーショックだったんだ・・

感動でウルウルしそうになったけれど、ここでウルウルしたら

怖くて涙目になってると誤解されそうなので我慢した(笑)

背中に細い管を入れて局部麻酔をし(そんなに痛くなかった)

その後、注射で全身麻酔を。

「ぼや〜っとしてきますからねえ・・」と言われてすぐに

本当にぼや〜っとしてきて

「あ、麻酔が効いてるんだ・・これから手術なんだ〜」と自覚できた。

「自覚」という書き方をしたのにはワケがある。


・・・・・・・・・
三年半前の乳癌の手術。

全身麻酔をしたときに、自分で完全には効いてる気がしなくって

耳元で「○○さん、○○さん!」って看護士さんに呼ばれたときに

「まだ意識あるよ!このまま手術されたらたまらないぞ!」と思い

「はい〜!!」って大きな声で返事をした。

そうしたら「終りましたよ」って看護士さんが。

「へ??もう?」

そう、これからだと思っていた手術がもう終っていたのです(~_~;)

・・・・・・・・・・・・・

今回の再建手術は、そんなドジもなく

キチンと麻酔が効く事を感じながら眠りに入ったので

目が覚めたときにも「手術終ったんだ・・」とまず思う事ができた。

この手術は10時間以上掛かるので病室に戻るのは夜、

しかも遅い時間だと言われていた。


ダンさんがその間、どうやって時間を潰して待ってるんだろうと

それが気がかりだった。

「今、何時ですか?」

だから私は手術室で目が覚めたときにまず聞いた。

すると

「まだ4時にもなってないよ〜〜♪」と明るい声が返ってきた。

え?4時?夕方の・・ですよね・・

なんで?

その後先生が「最短」だのなんだの言っていた気がするがよく憶えていない。

ただ佐武先生が他の先生に

「今日はちっとも疲れなかったねえ♪」と

テンションの高い声で言っていたのは覚えている。



(その頃、病棟では看護師さんたちが

手術室から「○○さんのお迎え、お願いします」と連絡が入り

まだまだのはずだったので、準備も何もしてなくて

かなりドタバタとしていたそうな・・ダンさんからの話。)


とにかく私はこうして6時間を切る最短記録を更新してしまったのでした。

それから数時間後には早くも腸が動き出して

看護師さんが聴診器を当てて「ホントだ、動いてる」

というわけで水を飲むことを許可される。

飲んでも吐いてしまうかも・・と言われたので

恐る恐る飲んでみたけれど、なんでもない・・

(結局、吐き気は後にも先にも一度も無かった)

ダンさんもそんな私を見てすっかり安心して

軽やかに帰って行った(あ、長野にじゃなくて、近くの私の実家にね)

病室では両足にエコノミー症候群予防のポンプが付けられ

一時間おきに、移植した胸の厳重な血流チェックが行われる。

シャーッ!シャーッ!っと、繋いだばかりのお腹と胸の血管の中を

物凄い勢いの血が通っている。

足のポンプに空気を送る音と胸の血流音・・

それを聞きながら、その日はウトウトと浅い眠りの夜だった。
入院雑記2
(手術翌日・翌々日)・・個室にて

手術の次の日、その日はダンさんが午前中に長野に帰るので

早め(朝食前)に来てくれた。

個室なのと手術の翌日という事で面会時間外だったけれど許してもらった。


私は・・というと手術終了後からずっとベッドの上で

ドレーンや点滴、麻酔、尿管など、

管だらけでジッとしている事を余儀なくされている。

ジッとと言ってもベッドを45度まで上げることは許されているが

この45度が微妙な角度で、

私はなんか最後まであのベッドは疲れて苦手だったなあ。



一夜明けて気分は悪くない。

夕べ遅くに熱が出たが氷枕をして寝たせいか微熱程度に下がった。

朝食の時間になって食事が運ばれてきた。

美味しそう・・と言いたいが、

起き上がれないので何があるのか良く見えない。


箸がついてくるけれど、先輩達の助言で持参した

スプーンとフォーク、ストローを使う。これ、便利と言うか必需品。

入院中、大活躍だった。


手術翌日の朝食は吐き気がして食べられないと言う話を

看護師さんからも聞いていたので、口に運んで

恐る恐るゴクンと飲み込んでみたけれど・・・何も変わらず。

結局、完食してしまった。


食事に関して思い出した事を書くと

私は入院中、ほとんど「完食」をした。

殆ど・・と書いたのは少々ワケが。


二日間寝たきりの生活を余儀なくされるのに、私の食欲は衰えず

昼も夜も完食が続き・・

正直言うとトイレの事が心配になってきた。

それで寝たきりの状態二日目には食べる量を自分でセーブ。

なんとか自分でトイレに行かれるようになるまで、事なきを得た(~_~;)


それと

入院数日後に栄養士の人が来た時に

ご飯の量を「小盛」にして貰った。

完食はするわ、間食はするわ、運動はできないわ・・で

危機感が湧いてきて(~_~;)

食事は毎回工夫されていて美味しかったけれど

やっぱり後半は少々飽きた・・

でも今、これを書きながら

ちょっと懐かしく「病院食」を思い出したりもしている。


術後二日間は一時間おきに血流チェックをしてもらうのが一番の仕事。

他にする事は何も無い。

こういう時、再建仲間のお見舞いが本当に心強かった。

この後、個室から出て一般病棟に移ってからも

いろいろな方がお見舞いに来てくれてどんなに嬉しかったか。


入院の思い出がとてもハッピーなのは成功したからだけじゃない。

こうやっていつも周囲に「応援団」がいてくれたから。



再建した直後の胸は

触ってみても「膨らんでいる」感じは皆無で

左胸全体になんとなく「何か」が張り付いている感じ。

ただ、再建前に触るとアバラ骨が触れたところが、今は「肉」になっている。

それが「再建」したという実感だったかな。


再建して胸が出来た喜びよりも

主治医が

「血管が太かったから、一番身体に負担が無い方法でできた。

筋肉は全然見てない(触ってない)」と

得意そうに言ったことのほうがずっと嬉しかった。


二日間のベッド生活は正直きつかった。

身体は痛くなるし、手術前から履いている弾性ストッキングが

ダンダン痒みを催してくるし・・

術後3日目の朝からポンプも取れるしトイレも行かれる・・早く早くと

時計ばかり見ていた。

そうそう、そんなときにふと気がついた。

私は手術が早く終って、

その分だけ術後の処置=寝たきりが6時間ほど皆より長くなるんだ・・

どう考えても損だ〜・・

看護師さんにそういう愚痴を言ったのかも知れない(記憶になし)

看護師さんから主治医に伝わって

私は3日目の朝ではなく2日目の夜にポンプとストッキングから開放された♪

そして尿管も外され、自分でトイレに行かれるようになった・・

明日から一般病棟だ。
入院雑記3
(一般病棟にて前編)

手術が11月14日(火)

個室から一般病棟(4人部屋)に移ったのが11月17日(金)

退院したのは11月25日(土)

本当に一番順調なコースだったと思う。

実際に入院期間にもいつも「経過良好」で佐武先生も他の先生も

この手術の成功と回復の早さを喜んでいた。

勿論その通りだし、後から書くけれど

手術時間の「最短記録」を作ったほか、もう一つ嬉しい更新もあって

人から見たら、何も問題のない入院期間だったかもしれない。

でも細かい事はいろいろあった。

大手術したんだから当たり前。サイボークじゃないんだから

メスを大きく入れた身体が少々の悲鳴をあげるのも当たり前。

そんな「悲鳴」も思い出す限り書こうと思う。

順調な私だって、こんなことあったよ、こんな風に思っていたよってね。




この病棟(14階)は形成と整形が一緒に入院していている。

「乳房再建」なんて人はそう居るわけがなく4人部屋で一緒になるなんて

奇跡に近いくらいに可能性が無いはずだったけれど・・

私はきっと何処までもラッキーだったのかも。

この部屋に一週間前に「同時再建」した人がいたのです。

お互いにネームカードに「主治医 佐武医師」の文字を見て

それだけで意気投合。

彼女、とっても明るくて元気で

術後の経過や不安など二人でなんでもザックバランに話せたので、

本当に心強かったし、入院生活が楽しかった。

ありがとう!Oさん♪



なかなか経過の報告にならないね(笑)

トイレに行かれるようになってから

初めて自分のお腹を見て、触った。

(それまでは気分的にそんな余裕なかったのかも)

驚いた。

お臍の5センチくらい下に真一文字に走る傷、35センチ。

それは分かっていたのだけれど

ビックリしたのはその傷の形状。

なんと言っていいか・・35センチの縫い跡が丁度細いロープ(しめ縄?)のように盛り上がってなっているのだ。

でもこれは後から先輩に「手術跡を綺麗に治すための方法。

形成外科だからこその拘り」と言われて納得。

確かに写真でみた症例はビックリするくらい綺麗だった。

こういう方法だからこそ・・なのか。



そして今現在、この拘りの成果が早くも私の傷跡に出始めている。

ロープ状傷跡よりも私が違和感を感じたのは周囲の腫れとツッパリ感。

なんせお腹の皮と脂肪をかなりの範囲で取って、

そこを引っ張り合わせて縫ってるのだから、ツッパリや腫れは当たり前。

でも恥骨の周囲からオヘソの上までも固くパンパンに腫れて非常に違和感があった。

その腫れは今でも(12月8日)残っているけれど

日ごとにダイブ良くなっているからもう少しでなんとかなりそう。

ちょっと切っただけでも腫れるんだから、こんな事、当然ね。

胸の傷はロープ状にはなっていない。

こちらはこの時点で既に大きな胸の形をしていたので想像と違って、

その意味でビックリ。(もっと形が不自然だと想像していたので)

でも、皮を持ち上げて脂肪を入れた脇や胸の下はカチカチで

固い物体が入ってるみたいだった。

そして、なんだかアチコチ脇の辺りが痛い・・

3日目には血流チェックは1時間毎から2時間毎になっていった。

夜中の3時。

当直の看護士さんが血流チェックのときに

移植した後を見て、ふと気になったようだ。

脇の脂肪を移植した部分がかなり内出血しているようだ。

それは脇から背中のほうにもあるらしい。

「個室で身体を拭いた時にはあったっけ?」

私に聞かれても背中見えませんから〜

看護士さん、だいじょうぶかなあ・・・ともう一人の看護士さんを呼んで相談している。

「どうする?・・佐武先生、きょうは帰っちゃってるよね」

「朝まで待つ?でも、まだ3時だよねえ」

おいおい、聞いてる私は気が気じゃない。

私の胸、どうなっちゃってるの?

血流はこんなに勢いが良いじゃないの。

結局、一応先生に連絡して

先生からは大丈夫だろうから朝まで様子をみてと支持されたらしい。

胸はその後、以上も無く、内出血はかなりあったけれど、おさまりつつある。

先生には想定内のことだったようだけど

看護士さんは、今までいろいろな症状を見てるから、

万一の事を心配してくれたんだと思う。

この看護士さんはその後もとてもいろいろ注意してくれて、

退院後のアドバイスもくれて随分助かった。

移植したばかりの脂肪が固い事は、

先輩達からの情報で聞いてはいたけれど

実際に触って見ると、想像以上にカチカチの感。

皮と一緒に移植した部分(中央)は柔らかいけれど

胸の横や下側は一体何が入っているんだろうと思うほど固くて

脇を閉じると腕の内側にその固い物質が当たる、

これも何の情報も無かったら、一人で心配したかも。

私は、前から聞いていたし、同室のOさんと

「固いよねえ、サッカーボールみたいだ」

「そうそう、そんな感じ(笑)」

などと話していたので、たいした心配もしないで

「少しずつ時間を掛けて柔らかくなる」と信じる事ができた。


一般病棟に移ってから、チョット困った事があった。

夜、何度も何度も目が覚めるのだ。

普段は朝起こされるまで決して目覚めない私が、だ。

しかも一度目が覚めるとしばらく寝られない。


これは、何か心配事があるとか

同室の人のイビキがうるさいとか、そういうんじゃない。

(同室の人も名誉のためにもハッキリさせておかねば)

身体が痛くて痛くて目が覚めるのだ。

痛いのは傷じゃなくて主に背中。

数日間、寝たきりだったからなのか、背中や腰や首など

身体の裏側のありとあらゆる所が悲鳴をあげていた

湿布をしただけでなく

リクライニングベッドを上げたり下げたり。

でも、どうやってもシックリした角度にならず

私はこのベッドとは結局最後まで仲良しになれなかった(笑)


それからもう一つ

眠りを妨げたという事で思い出した事がある。

4日目頃だったか

ちょっと右腕全体が痒いな・・と思って腕の裏側を見てみると

僅かだけれど発疹があるような気が・・

その辺りを掻いてみたら、なんだか腕全体にゾワゾワと違和感。

本当にゾワゾワと不愉快になるような違和感。

その後、左腕にも同じような発疹とゾワゾワ感。

看護士さんに見てもらうと、薬による蕁麻疹ならもっと発疹が大きいはずだから

薬の副作用ではないはずと、とりあえず塗り薬だけ塗って、その場は収まった。

ただこの得体の知れない痒みは退院してしばらく続くことになる。
(発疹はその後ないけれど)

殆ど収まっている現在、思うのは

あの時、手術をしたことに依って皮膚が「ビックリ」したのじゃないかと言う事。

上手くいえないけれど、そう思う。

そういえば、乳癌手術の後も皮膚感覚が敏感になっていて

似たような経験をしたような記憶が。

ストレスを強く受けると蕁麻疹が出来る人がいるでしょう。

あれと似たような感じだったのではないかと。

身体が、皮膚の神経が「手術」という大きなストレスを

こういう形で表現したんじゃないかと。

時間の経過と、ムヒソフトとエモリカのお風呂で

退院してから一週間ほどで痒みは収まりました。

話が前後してしまうけれど

入院中、上に書いたような細かいことはあったけれど

全体的には先生を喜ばせるくらいの順調な回復。

なにしろ、腹筋に一切触ってないのだから

処置室で消毒した後も、ヒョイと起き上がれるし

スタスタと病室に帰れる。

「この手術の醍醐味だね」と主治医。

ほんと、そう思う。


入院雑記4
(一般病棟にて後編)
手術から一週間

予定通り抜糸をすることになる。


処置室のベッドに寝て

まずはお腹の抜糸から。

抜糸してくれたのはO先生。

主治医はきょうは3つの手術を控えていて超忙しそう!

まず一本だけドレーンを残して後は外し

抜糸に掛かる。

この抜糸が結構大変な作業なんだ。

私はただ寝ていれば良いんだけど、先生は一本一本丁寧に抜糸していく。

この接合部、本当に細かく細かく縫われている。

さすが形成外科だけあって傷跡ができるだけ綺麗になるように

あらゆる工夫をしてくれているが、この縫い方もその一つ。

だから抜糸も大変だ・・

一針一針、糸を抜きながら

「この作業が延々と続くんですよ(笑)」と先生。

ヨロシクお願いしま〜す


抜糸の途中でお話したんだけれど

この先生がこの病院に来た6年前はこういう術式はまだやっていなくて

自家組織を使った手術はお腹や背中の筋肉も使う手術だったそうな。

そうなるとやはり回復にも時間が掛かるらしい。

「いいと思いますよ、こういう術式は」と先生。

本当にそう思います。筋肉を犠牲にしない手術・・・

良かった、この手術をこの病院でしてくれて。



途中から美人女医さんも来てくれて

胸の抜糸をしてくれて無事に終了。

あ、オヘソの抜糸だけは後日。


マイクロポアという手術跡の保護テープを貼って病室に帰る。

これからは毎日毎日、自分でこのテープを張り替えるんだ。


抜糸が済んだから

お風呂(シャワー)にも入れることになった。

それまでも洗髪は看護士さんがしてくれたし

身体も蒸しタオルを何枚も貸してくれるので

気持ちが悪くなる事は無かった。

でも、やっぱりシャワーが浴びられるのは嬉しい。

浴室で

改めて自分の身体を見て、ほ〜っと驚いた。

胸は一週間経って、腫れは相当だったけれど

正真正銘、大きなオッパイの形。

再建側の形が立派で、健側のオッパイが遠慮がちに小さくなってる(笑)

脇と背中を見たら・・これだな、看護士さんが心配したのは。

ドス黒くまるで酷く殴られたような大きな痣が数箇所に。

それは脂肪を入れた乳房の周囲から下のほうにもあって

これじゃ心配するわけだなと納得。

乳房は、触ると中央以外は相変わらずカチンカチン。

これがダンダン柔らかくなるのかねえ・・と思いながら

シャワーを優しくあてた。

お腹は・・というと、こっちも腫れて傷の上下ともパンパン。

針を刺したらプチンとはじけそうだ。

手術の仕方を考えたら、それは無理の無いことだよね。

少し、傷がついただけでも人間の身体は腫れる。

それにまだこの時点では術後一週間。

ミミズ腫れの太いのが真一文字に走るお腹に

シャワーのお湯をあてる勇気が無くて

お湯を手の平にとって、そっと傷を洗った。

残ったお臍の抜糸は

退院予定の前日に主治医にして貰った。

主治医はこの日もハイテンションで自画自賛。

「good!一年後を楽しみにしていてね〜♪」っと。

そして
初めて知らされた事。

「(私の血管は)今まで手術した患者の血管の中で
一番太かったよ」って。

え〜〜っ!そうだったんですか!

血管と血管を繋ぐ手術

血管を太くするために運動は欠かさないで、と始めから言われていた。

勿論、再建に関係なくジム通いは趣味だったが、

主治医に言われてからますます熱が入って、

インナーマッスル系のピラティスなども盛んにやっていた。

それが効果があったのかも・・

昔、スポーツが大嫌いだった私が、こんなに夢中になって大好きになって・・

これってもしかしたら「再建」のために神様が仕組んだストーリーなのかも・・と

無神論者だけれど、ふと思ったり・・


同じ病室のOさんは私より二日早く退院。

途中で血腫が出来たりで一週間退院が延びたので

彼女は大変だったけど、

私は仲間が殆ど同じ期間に同じ部屋にいてくれて本当に楽しかった。

元気でね、Oさん、また会おうね!

他の病室にも再建仲間がいて

一緒に売店に行ったり、話したり・・
「入院合宿」という言い方をしているけれど、本当にそんな感じ。

今思い出しても懐かしくて、ニヤついている。

やっぱり「前向き」の「クォリティを高めるため」の

自分で決めた選択だったからだと、今、思う。



11月23日土曜日

手術から10日。

ダンさんが迎えに来てくれて無事に退院。

ただし、30日に早速外来診察が入っているので

帰り先は長野じゃなくて実家。

入院中、ろくにリハビリせずにゴロゴロウダウダしていたけれど

なんとか入院のときに履いてきたハイヒールを履いて、

見栄を張って背筋を伸ばして帰る。(イタタタ・・爆)
退院〜手術1ヶ月まで 11月25日土曜日、退院、手術して10日。


退院の時に、まだしばらく横浜に滞在する事を

主治医に伝えておいたからか、退院後の最初の外来診察は

5日後の30日(木曜日)と言われた。

(一度長野に帰ると言ったら、もう少し間が空いたかもしれないが)

横浜の実家は前にも書いたけれど

市大病院とは2キロくらいしか離れていない。

しかも通院などは、母が車で送り迎えをしてくれたので

本当に助かった。

私が市大病院で再建を受ける決心をしたのも、

実家から近いというのが大きな要因だったのは否めない。

退院した3日目

ちょうど術後2週間の日に、マンマサロンがあったので参加。

術後2週間しか経ってないとは思えないと驚かれた。

筋肉を犠牲にしない手術の威力だろうか。

翌々日には外来で、いろいろな人にも再会と初顔合わせがあって

そこでの楽しいひと時で、一層、回復が進んだように思う。

退院後の順調な回復の中でも

多少の不都合を感じた症状としては

身体の痒みが酷くて、夜何度も目が覚めたことかな。

アトピーの人の気持ちが少し分かったと思うくらい、酷い痒みだった。

どうも手術してから皮膚が過剰反応しているような気がしていた。


市販の薬を使う前に主治医に聞いてみようと

外来の時に、痒みの話をしてみた・

「だから、先生。ムヒソフトを使っていいですか?」

先生「ムヒ?それなあに。虫除けみたいなもの?」

ちょっと茶化して言ってるけれど答えになってない。

診察が終ってから、着替えながらカーテン越しにまた聞いてみた。

「先生〜、ムヒソフト、使ってもいいですか〜?」

「あ、いいよ〜」

何でも使ってもいいよ〜・・という感じの返事だった(~_~;)

言い換えれば、痒みなんてたいしたことじゃないから

気の済むようにしていいよって、感じ。


で、帰ってから早速購入して使用。

これは結構効いた。

でも、もしかしたら効いたというよりも

手術からダンダン日が経って、皮膚の神経が落ち着いたのかも知れない。



退院してすぐは足の筋肉がヤワになった気がして

階段など違和感があったけれど、それはすぐに元に戻った。


胸の横の内出血も、ダイブ落ち着いてきて、このまま行けば

いつか自然に吸収してくれるかなと思える程度に。


主治医から

「まだ固いけれど、そのうちだんだん柔らかくなるから」と言われ

無事に合格点を貰う。これで安心してその週末、長野に帰ることとなった。



そして長野での今。

あと二日で手術からちょうど一ヶ月。

胸の腫れは、随分引いた。もう殆ど引いたといってもいい。

脇の酷い内出血ももうダイブ綺麗になってる。もうちょっと。

カチカチだった脇から胸の下にかけては

まだ固いのは変わらないが、それでも確実にチョットずつ

柔らかになる「準備」をしているのがわかる。

例えていうなら、丸いオレンジ色のホオズキ。

最初はカチカチでしょ。

少しずつ、力をいれずに優しく触っていると

ダンダン少しずつ表面が柔らかになっていくでしょ。

あんな感じ。

まだまだ表面だけだけど、確かに最初のカチカチ感とは違った感触。


上の部分が少し陥没気味だったり、健側より大きかったりはするけれど

後から修正するするのが始めからの予定だし

最初の手術の一番の目的は「脂肪をしっかり定着させること」

そう考えると、この綺麗に膨らんだ胸は目的以上の仕上がりだと思う。


お腹の方も傷はダイブ綺麗になってるけど

まだミミズ腫れは残ってるし

イナバウワーは怖くて出来ない(笑)

でも少しくらい反ったほうが皮が伸びていいのかな。わからん。


でも一日一日、確実に良くなっていることだけは確かだ。

人間の身体は本当に不思議なくらい強い。

特に最近、どんどんパワーが戻ってきているのが

身体で心でよくわかる!

きっとまた回復の経過を書く機会があるでしょう。

そのときに、いい報告ができるよう

自信を持ってアクティブな生活しなくちゃ。

では、ひとまず、この辺で。
                 2006年12月12日

再建2ヶ月 1ヶ月までの経過の後、書いていないので

日記に書いたものをそのまま貼っておくことにします。

自分の中では、だんだんとこの胸と馴染んできてしまって

記録するのも忘れがちになっていますが

忘れるくらいになれている自分が幸せでもあります。

でも、やっぱりちゃんと思いを書いておくのは大事なことだよね。

・・・・・・・・

11月14日の再建手術からニヶ月が経った。

再建に当たってこのブログを本拠地とは別に立ち上げたんだから

せめて区切りのときくらいは再建経過を書いておかなくちゃね。


今年に入ってジムにも復帰して

以前と変わらずにジム三昧して

ますます筋肉を犠牲にしない自家組織からの再建の素晴らしさを

毎日実感している。




手術直後、あんなにカチンカチンだった脇から再建胸下方部分

今はダイブ柔らかくなり脇側から手で中央に寄せると柔らかく動くようになった。

最初の頃には脇に何か固いものを挟んでいる感じだったのが

今はそれもない。

まだ健側の方が小さいので裸の状態だとその差が分るが

ブラをして身体にフィットした服を着ても、だいぶ分らなくなった。

多少、再建側のほうが横に張ってるが、

このくらいはよっぽどジッとみないと分らないし

見る人もいないし(~_~;)


傷跡もとても綺麗になってきて

今は傷跡よりもテープの跡のほうがくっきりわかって気になるほど。

たった二ヶ月なのに、こんなに手術跡が綺麗になるなんて

形成ってやっぱりスゴイ!

佐武先生ってやっぱりスゴイ!

再建後、退院する直前に佐武先生が再建した胸を見ながら

満足そうに張りのある声で言った。

「いいよ。一年後を楽しみにしていてね。」

はい、そうですね。

これからまだ修正や乳頭乳輪・・

佐武先生に施術していただくのを楽しみにしていますね。

そのためにセッセと長野から市大病院に通いますから。


追記

小さな画像ですが貼っておきます。

手術跡の一部で、一番早く綺麗になっている部分です。

1月13日に鏡でセルフした画像を一部トリミングしました。

向かって左側が左胸の脇、右側が再建した胸で皮膚はお腹からの移植です。

傷がわかりますか?

赤いのや横に何本も皺のように走ってるのは

テープの跡で傷ではありません。

勿論、カメラを通したときよりも実際のほうが、

傷がよくわかりますが

それでも二ヶ月でこの治り方はビックリです。



★再建3ヶ月
2月14日で再建3ヶ月。

最近、本当に雑用が多くて、ネットもおろそか。

本拠地のHPの管理がやっとなんだけど

でも、せめて区切りの時には自分の状態を書いておかなくちゃ。


3ヶ月の画像も撮ってはあるのだけれど

また機会があったら貼ろうと思っている。


胸の状態やお腹の状態が、2か月の時とどう変わったかといえば

順調に回復している・・としか言いようが無い。


胸は先生や仲間に言われたようにドンドン柔らかく自然になっているし

部分的に組織が足りない部分もあるけれど、自分では全然気にならない。

修正の時にはまた相談・・ということになるのだろうけれど

今はすっかりこの胸に馴染んでしまっている自分が居る。


ジムでも復帰したばかりの頃は

胸が以前より少々大きくなったのを自分で気にしてたが、

周囲は全然気がついてない・・はず。

今はもう堂々すぎる位堂々とジムを楽しんでいる(~_~;)


つい先ごろまで

バーベルを使ったエクササイズの復帰は控えていた。

10キロ以上の重さのバーベルを頭上に持ち上げるときに

胸の傷が多少痛かったから。

今はそれも大丈夫。完全復帰。



お腹のほうもダイブ傷の盛り上がりも低くなってきて

きっと今に平らになるんだろうと楽しみにしている。

腹筋や柔軟性は以前とまるで変わらず。

いえ、前より腹筋は強くなったかも。

ブリッジも普通にできる。お腹の傷、なんともない。



実はテープ(マイクロポア)をまだ貼っていなくちゃいけないんだけれど

もうこの間から貼ってない。

今度、診察の時には取って来ていいよといわれていたので

2週間ほど早く取っちゃったことになるけれど

今のところ何の問題もないし、

あとはテープの跡が早く取れればいいなと思っている。

リザベンはまだちゃんと飲んでます。

三ヶ月過ぎた今、自分でも気がつかないうちに

今まで以上に元気になっている私がいる。


再建6ヶ月 気がついたら、再建して6ヶ月になろうとしている。

半年かぁ・・

「ふるむ〜ん温泉」とは別の再建に関するブログを・・と思っていたけれど
更新もないまま放置してる。

でも、それだけ私の中で「再建」という出来事が

ほとんど意識しないで済む「自然」なことになっている証拠なのかも・・とも思う。

でも、これから6ヶ月、1年と区切りのときだけは

やっぱり経過報告や思いなどは残しておいたほうがきっと良いに決まってる。


半年・・

先日、市大病院での受診があった。

佐武先生は再建した胸を見て満足気。

隣の部屋にいた別の若い先生を呼んできて

「ほら、見て。触ってご覧」と得意そう(^^♪


殆ど大きな修正はないから

いつでも乳頭、乳輪の手術ができるよ、いつがいい?と

ポストイットを持って私の答えを待っている。

いつがいいって、急に言われても・・

先生こそ、いつがいいですか?

7月8月はお子さんの夏休み中に手術をしたいという人も多くて

忙しいので、と9月が10月という事になった。

私の名前が書いたポストイットをファイルにペタッ。

11月に手術をしたのだから、

予定通りに9月か10月に修正と乳頭作成だと

一年以内に完成ということになる。

これは自分の中では予想より早い展開。

いつものようにあちこちから写真を撮って、受診を終えた。


私の再建6ヶ月の生活といえば・・

相変わらずのジム通いには変わらず。

二箇所行っていたジムを一箇所にしたけれど

その分、朝に夜にと通っているので、二箇所に通っていたとき以上に

運動量は増えているかも。

ピラティスという一時間みっちり腹筋を使ってやるエクササイズも

全然問題なし。却ってみんなから

「腹筋のスゴく強い人」として知られてる(笑)


お腹の傷も少しまだ触るとでこぼこしているけれど

見た感じはキツイパンツを履いたときの跡にも似ている。

おへそが縦長にカッコよくなった分、オヘソを出したウェアもOK。


肝心な胸のほうは皮膚を縫合した傷さえ出さなければ

胸の大きく開いたものもOK。

ここも時間が経てば経つほど目立たなくなるから問題なし。

着替えのときの「周囲の目」への気遣いが半減した事は

自分の生活の中でかなり大きな影響がある・・と最近思っている。


今までも何の不自由もなかったと思ってはいるけれど

やっぱり今のこの「アクティブ」な自分を見ると、

前とは微妙に違うかも・・と。

半年経った今、満足感の裏で、微妙に欲がでている私がいる。

先生にも言われた事なんだけれど

今まではふくらみを取り戻せたことだけで満足していたのが

ここをもう少しこうしたら・・とかね。

とりあえずの「欲」は

修正のときに左右のバランスのために

再建側のオッパイの脇側を少しとろうか、という話の時

「いやだ、せっかくのオッパイ、とりたくない」というこの感情。

はい、先生には我儘を聞いていただきます。

ダンさんも今のままでいいと言ってることだし(爆)

再建12ヶ月 これを書いてるのは正確には本手術から11ヶ月と20日。

実は3日後に修正手術の予定なので

少し早いけれど「術後12ヶ月」を書こうとしている。


まずは修正前の今の「再建乳房」の状態から


再建6ヶ月の経過を読み直してみたら、

あまりそれから大きな変化はないと思う。

傷の治りは多分、とても早いし綺麗だと思う。

一年経った今、お腹と乳房の傷は「極細の線」になっている。

私は脂肪だけでなく皮膚の移植もしているので

乳房の皮膚=お腹の皮膚なので

色が少し違うけれど、これは仕方ないし

一時よりも馴染んできたので私的にはそれほど気にならなくなった。

これから先も、もっと馴染むと思うし、

それでも気になったらホワイトニングしようかな。


大きさも段々と落ち着いてきて、今のこの大きさが気に入ってる。

それでも健側より少し大きいので、

修正手術では、健側のほうを再建側に合わせる予定。


再建胸の上の部分が少し脂肪が足りない感じで

これは多くの皆さんも体験する事のよう。下がっちゃうのかな。

修正手術で足す方も多いけど、私は今はさほど気にならなくなった。

乳房が柔らかくなって下がった分、前よりも幾らか目立たなくなった気がする

(私が気にしなくなったのかもしれない)

乳頭を作ったら、乳房に表情が出てますます気にならないかも。



一年経って、この胸はすっかり「自分のもの」になっている。

もともと「自分のもの」を使ったのだものね。

その恩恵を私は日々の生活で感じています。

勿論「筋肉を使わない自家組織利用の手術」の恩恵をね。

日常は勿論、運動に関してなんの問題もなし。

むしろ再建前よりも筋力はついている。



この一年、私は再建をしたいろいろな方のお話を聞く事ができた

また再建された胸も見せていただいた。

ひとりひとり、顔や性格が違うように、そして元の胸の形も違うように

再建した胸も一人一人本当に違うものだと思った。

これから再建する人も、きっとその人だけの体験をし

その人だけの胸を取り戻すのだろう。

私も私だけの胸を作ってもらい、他の人から見てどうかはわからないけれど

自分としては「私だけの大好きな胸」を手に入れた。

改めて「再建」に向かわせてくれた多くの出会いに・・感謝!


間もなく修正なので「再建編」はひとまずお終い。

次に書くのは「修正編」かな。
●修正&乳頭乳輪作成
再建手術してから一年経った2007年11月
予定通り修正&乳頭乳輪作成の手術を行う。
約3時間の手術で入院は一週間。

今、ここを書いているのは2008年の7月で
実は第2回の修正手術が終ったところ。
二度目の修正手術のことも書いておきたいと思ったけれど
それにはまず
一回目の修正手術のことをフリーページに纏めなくては・・

でも、正直言ってダイブ記憶も定かでなく・・

とりあえず、当初、日記に書いたまま
ここに転記しておくことにしよう。
日記ははるか下のページに行ってしまったので
ここに残しておけば、何かの役には立つかもしれないから。
2007.11.01 
入院しました
夕方4時頃、早々と佐武先生がいらして念入りにデザイン。
明日は三組の手術が入ってますが何れも同室の方♪
しかも一人は同じく修正のJさん。心強いし楽しくなりそう♪
今日早速お見舞いに来て下さったかた、メールをくださったかた、
ありがとう!また、報告します。
2007.11.02 
入院合宿してます
二日に無事に手術完了!
同室の方もそれぞれ完了。
同じ日に手術というのは経過も大体同じのでとても助かります。
今回の入院合宿、再建仲間だけでなく、
同室の他のお二人からも学ぶことがあってなんだか、良かった〜、
それはまた、後で。
そうそう、佐武先生、デザインのあと、また、病室に来て
一度デザインした胸にペンで書き加えて
『やっぱりここも、やりたいんだけど、いい?』って・・
いいとも〜って事でいろいろしました。今のところ満身創痍です(笑)
007.11.06 
合宿生活
本手術と比べるとやっぱり回復は早く好調です。
敢えて『絶好調』という言葉を使わないのは
あの言葉には『ハイテンション』というニュアンスが含まれる気がして(^_^;)
患者ですもの。大人しく大人しくしていますとも・・たぶん(^-^;
昨日もいろいろなかたのお見舞い、本当に嬉しかった♪
あの時いたたけるパワーはちょっと説明できませんなあ。
オッパイのできと方法?それがさあ〜・・?それはまた別の機械に(^_-)☆
2007.11.06 
きょうは・・ですね。
本拠地には内緒だけど実は結婚記念日です
手術日が決まった時、あちゃーっと思ったけどこれも縁と思って決めました。記念イベントは落ち着くまでお預けです。
ま、今は指輪ならぬ『乳輪』が嬉しい記念品という所でしょうか(笑)
2007.11.07 
今にも退院できそう
12階から1階の売店にコーヒーを買いに行きました。階段でね。帰りもね。
ドレーンも取れたし、後は抜糸。イッパイ切ったからなあ。
興味津々の乳輪は保護してあって、まだ対面してません。
きょう、お見舞いに来てくれた○ちゃん♪ありがとう!
今度一緒に飲もうねo(^-^)o
2007.11.08 
大賑わい
形成外来の日という事もあり
お見舞いに来てくださる方で大賑わい。
嬉しかったし楽しかった、貴重な情報もいただけたし、
改めてこの出会いに感謝です。
個室で安静にしてる再建仲間も元気そう。
みんなもここを乗り越えたんだと思うと頑張れるって。みんな、素敵です。
2007.11.09 
明日退院♪
抜糸が済んでいよいよ明日退院♪
まだ一部の抜糸は残ってるけど次回外来で。
また追い追い書きますが楽しいだけじゃなく、すごく実りある一週間でした。
伊達に入院合宿って言葉を使ってるんじゃないね。
人それぞれだから私だけの意見だけど、
合宿に参加された全ての皆さん
(先生、看護士、沢山の職員、患者仲間、お見舞いに来てくれた人、
外からパワーをくれた人)その他全ての人に、ここまで来たことを感謝です。
なあんて言って締めてるけど
実際は3カ月くらい経たないと修正後のオッパイがどぅ落ち着くか予想できないんだけど。
2007.11.10 
退院しました♪
今日、無事に退院しました。今、横浜の実家です。
みなさん、本当にパワーをありがとう!
雨が降っていたけれどダンさんが車で来てくれたから大丈夫。
本当はマンマサロンにも参加したかったけれど
退院した時間が中途半端だったので、あきらめました。
晴れてたら散歩しながら待ってても良かったんだけどね。

どんな修正をしたか?
それはまた次回に・・

楽しかったし、知識も経験もちょっぴり増えたし
たくさんのお友達にも会えた「素敵合宿」でした。
「楽しかったねえ」と言って退院する患者って
不思議だけど、本当にそうなんだもの。

今夜は家でお祝いです。
父と私の退院祝い(父も数日前まで入院してたので)
数日遅れの結婚記念日です。

さっきダンさんがシャンパンを買ってきました♪
退院当日、飲んでいいのか?いいよね、ちょっとだけ(笑)

昨日は横浜の実家で退院祝いと結婚記念祝いをして貰いました。

シャンパンでの乾杯の後、サプライズ!

ダンさんが大きな包みを渡してくれて・・

キタムラの大きなボストンバックでした。

早くこれを持ってジムや旅行に行かれるようにって。

嬉しい・・ありがとう、ダンさん。

出来るだけ早く復帰できるように、でも無理しないで養生します。

・・・・・・・・・・・・・・・

今回の修正は乳頭乳輪を作っただけでなく

健側も弄った(結構大きくメスが入りました)し、あとはまあ、いろいろ。

詳しくはフリーページに書いていきます。

今はアチコチ傷だらけの感があるけれど、傷の治りに関しては

どうやら優等生らしい?ので

テープ貼りの面倒はあるけれど、落ち着いた時の胸を楽しみに頑張ります。


ただね、今、多少腫れてるけど、大きさや位置はこれでいいと思ってる。

でも、腫れが引いて落ち着いたら・・小さくなるんだよね。

想像すると・・・ちと、いえ、かなり寂しい(笑)

2008.07.18 臨時更新で7月7日局部麻酔による日帰り修正をすることを書いたけれど
無事に予定通り終りました
(・・・って、佐武先生はまだ終わりだとは思っていない)

局部麻酔で日帰りで・・うきふねさんも経験していることなのだけれど
やっぱり貴重な体験だったから、書き残しておかなくては・・と思う。

こっちのブログを小休止したけれど

やっぱり、この類の内容を残すのは、

本拠地の「今日のビタミン」じゃなくて

こっちのブログのほうがやりやすい。

それにフリーページの修正編も未だだし

(とりあえず、一回目の修正の時の日記を転記したけど)

何より、自分では区切りがついたはずの修正が、先生の中ではまだだった。

これは書き残さないわけにはいかない。

小さな記録も自分のためだよね。

数日前から背中の中央が仰向けに寝るとかなり痛む。

どうしてだろうって不安にもなる。

でもこの痛みって・・

このブログの再建手術の後の記録を読み返した。

細かくはかいてないけど、自分で書いたものだから

当時の様子が蘇る。

そうだ・・あのときも

こういう痛みがあったんだっけ・・

寝られなくてシップなど苦労したっけ。

経過の差はあるけれど、

そういうプロセスがあったと思い出すだけで

少し安心する。

勿論、痛みが良くならなければ病院に行くけれど

精神的に随分楽になっている。

やっぱり書き残すのは

温泉の感想ばっかりじゃない、こういうのも必要なんだね(笑)

と、いうことで

こっそりひっそりと復活更新です。

(コメント欄もこっそり元に戻します。)

ちょっとずつ今回の修正のこと、書いていきます。

まあ・・今の気持ちを一言で言うなら

「咽もと過ぎれば・・」でしょうか(^^ゞ
2008.07.20
再修正手術1
2008年7月7日

2回目の修正の日が来た。

前日、横浜の実家に来て、

当日は8時半までに外来受付に、ということなので

早めに病院に向かう。


局部麻酔による日帰り手術。

1時間半くらいの予定。

それが、どれくらい簡単なことなのか、はたまた大変なことなのか

初めての経験でわかるわけがない。

ただ、いわゆる術前検診も何もなく、当日病院に行けばいい、ということだし

特に術前の諸注意もなかったので、たいした事ではない、と認識していた。

今回の修正は、前にも書いたけれど佐武先生の意向で決まった。

5月の検診のときに、胸を診察して気になっているところを修正すると。

そして乳頭の色付け(タトゥー)を佐武先生が自ら行うと。

(結局、タトゥーは次回になったのだけれど)

私としては、もともと深く考えない性質なので、

最終的には先生にすべてお任せで、当日に至った。

9時少し前、看護師さんに呼ばれて再建外来の部屋に入る。

そこで、熱を測り、少しの説明を受けてから、3階の手術室に行く。

手術室では佐武先生が既に手術衣になって待っていた。

更衣室で上着だけ手術着に着替える。Gパンはそのまま。

髪をキャップに納め、手術台に。


今回の手術の内容は

再建側の上の部分の皮膚(もと、お腹の皮膚)が
最近組織が下がったのか減ったのか、
少々余った感じになっているというので、それを切除して修正。

健側の前回修正したアンダーの位置が左右差があるので
健側の下部分を切開して、中で数箇所、組織を縫いとめて吊り上げる形で
アンダーを揃える。

図も画像もないから、こういう説明では分かりにくいかもしれないけれど

とにかく、手術が始まった。

横になって心電図と血圧計が取り付けられ、患部を見ることのないよう

鎖骨の位置辺りに小さなカーテンのような仕切り布が。

「あ、こんなのやって見えないようにするのね」と言ったら

看護師さんが

「そうなんです、それに顔が汚れないようにも」

ん?あ、そうね。確かに・・

「じゃあ、始めるよ。局所麻酔するからね。
ちょっと我慢してね。」

それまで雑談していた先生が、そう言って手術が始まった。
2008.07.23
再修正手術2
「ちょっと痛いかもしれないけどね〜」

局所麻酔は、まず再建側の胸から。

麻酔が痛いと聞いていたけれど、痛みに比較的強い私は

思ったほどの痛みはなかった。

間もなく、先生がメスで皮膚に触れた。
(え?もう切るの?麻酔、効いてるのかなあ)

メスが入る。微妙に痛い。

「今ね〜、お腹の皮の所なんだけど、痛い?」先生が聞く。

(お腹?ああ、お腹から胸に移植した皮膚のことね。そうか、お腹だね)

「先生、今、切ってるんですよねえ。
痛いけど、切ってるほどの痛さじゃないです」

麻酔が効いてなければこんな痛みで済むわけが無い。これならまあまあ楽勝モード。

先生と看護師さんと、手術の経過や温泉の話など、

殆ど雑談の中でで再建側の胸の修正は終った。

さて・・と次は健側。

先生が

「今までのは助走みたいなもんで、こっちはチョット痛いかも〜」と言った。

でしょうね。

神経が戻ってきてるとは言っても完全じゃない再建側。

それに比べて神経が集中してる健側。

一回目の修正の後も、健側の方が痛くて痛くて困ったもの。

そして局部麻酔。

う〜ん、やっぱりコッチのほうが痛い。

ただ、この痛さも助走というか、序章というか・・

健側の下の部分にメスが入ったのだけれど・・正直、これが痛かった。

時々、麻酔が完全に効いていない部分にメスが入って「いたた・・」

先生、そこでまた麻酔を注射して・・何度もそんな感じ。

こちらは電動メスを使ったので

その音や焦げた匂いも、あまりいい気持ちではなかったな。

小さなカーテンが先生と私を仕切っているので御互いの表情は見えない。

先生が私が黙ってしまうと「○○さん、大丈夫?」と意識のあることを確認する。

別に気分が悪くなったわけじゃないけど、

そう年中、イテテ・・と言ってるわけにも行かないし

できるだけ我慢して、

手術室のライトにボンヤリ写る自分の手術の様子を見ていたのだよ。


一時間半ほどの手術の間、先生はずっと何かしら口を動かしていたように思う。

途中でメドがついて、先生は次の午後からの手術の準備に。

渡辺先生という女医さんが後の始末をしてくれた。

この先生も山梨に行かれたそうで、そんな話や温泉の話など

患部の処置をしてもらいながらする。

照明に手術の様子が写るって言ったら

「あら、ほんとだ」と看護師さんと驚いていた。

「じゃあ、今までの人も(見たくなくても)見えちゃったかも」というので

「見たくない人は、きっと目を閉じちゃうから

大丈夫じゃないですか?」って言っておきましたが・・



そうして無事に手術が終わり、すぐに私服に着替えて

(細いドレーンが入っているのでピッタリした服は着られなかった。

念のため、持っていった胸帯と大き目のシャツが役に立った)

抗生物質とリザベンと痛み止めの薬の処方箋を貰い

一階の会計へと向う。

こうして手術は終って、

手術途中で「こんななら全身麻酔のほうが良かったな」と思うこともあったけれど、

咽元過ぎれば・・で、どうって事なかったかも、と

私らしく思う。

でも・・

実はこの後が大変で一泊だけでも入院すれば良かったと、ちょっと後悔する。
2008.07.25
再修正手術3
一階に降りて、あまりの人の多さに驚いた。

でもよく考えたら、このくらいの混みようは当たり前なのだ。

いつも私は予約を9時に取り、しかも早めに病院へくるので

大概は診察の順番が一番。

だから会計も空いていて、あっという間に終わるのが常。

きょうは、「並」の時間帯だったので、この混みよう・・というわけだ。

当然、会計までしばらく待たされる。

手術の直後のために、まだ麻酔が少し効いているのだろうけれど

気のせいか、少し痛い。

第一、神経がかなり疲れている気がする。

自分にいつもの覇気がないのがわかる。

「傷が落ち着くまで、あんまり背筋伸ばさないで前かがみにね」

そう言われたのを思い出して、椅子に座って背中を気持ち、丸める。


普段、姿勢がいいと言われるくらい、背筋を伸ばす癖がついているので

背を丸めるのが、ことのほか辛い。

背筋を丸めていると、気分まで沈むことを、この時、知った。

会計で呼ばれて清算。

二万円ちょっと。意外に安く済んで少し嬉しい。

あとは・・そう、まだ薬を貰わなくては。

ここは基本的には院外処方なので、処方箋をもって薬局に行き

薬を貰うようになっている。

いつも私は、病院のすぐ向い側にある薬局で貰っているので

そこへ行く。

その頃は、麻酔も切れてきて、段々、きつくなってきた。


薬局に入ると

わぁ〜・・ここも混んでる・・こんなに混んでるの初めて・・

どのくらい待つか聞いたら30分以上だと。

困る・・一刻も早く帰りたいのに・・

困った顔の私に薬剤師さんが

「お買い物など先に済ませていただいている間に

ご用意させていただきますが」と優しく言ってくれる。

冗談じゃない。

今の私はそれどころではないのだよ。

・・・と、思ったところで通じるわけがない。

結局私は

「じゃあ、いいです」と処方箋を引っ込めた。

そして隣の薬局に行ってみた。
2008.07.26
修正手術4
昨日まで書いたものを読んで

こんな些細な事まで書かなくても・・と思ったりも。

本当は、修正手術の過程と経過と、感想、それで済む筈。

そこに画像の一枚でもつけたら御の字。

だけど、これは、あの時にリアルタイムで書けなかった自分の日記。

あとから何かの時に役立つかも・・の備忘録でもあるから・・

今は恐ろしく元気で、早くジムに戻りたくてウズウズイライラしてるくらい。

元気だからこそ、あの二週間を、ともすれば、忘れてしまいそうだから、今、書いておく。

・・・・・・

病院の周囲には処方箋薬局がいくらでもある。

初めて市大病院に来たときに、一番先に目に付いた薬局が

積極的にジェネリックを奨めている薬局なので、以来、ここで処方して貰っていた。

今回、あまりの混みように、初めて、隣の薬局に行く。

空いてはいなかったが、

隣ほどではなかったので、ここで処方箋を提出。

10分ほど待って、呼ばれた。ホッ・・

用意できた薬を差し出しながら、薬剤師が言う。

「お客様の希望でジェネリックにも変えられますが、どうなさいますか?」って・・

どうなさいますかって・・もう薬が目の前に出てるじゃん。

リザベンはジェネリックとの差が大きいのは知っていたが、

二週間分の処方だし他の薬は三日分だし。

さほどの金額の差がないかも、と思ったのと、身体がきつくなって来たのとで・・

「いつもはジェネリックなんですけど(と一応言って)・・でもいいです」と、

そのまま会計して店を出た。

いつもの薬局は、こちらが何も言わなくても

ジェネリックの説明をしてくれていたので、

この辺りはどこもそうなのかと思っていたが・・

テレビのCMで黒柳徹子さんがやっているように

「ジェネリック!」って言わないとダメなんだね

でもまあ、そんなことはどうでも良かった。

今は一刻も早く家(実家)に帰って鎮痛剤を飲みたい。

薬屋を出ると、目の前にタクシーが、ちょうど乗客を降ろすところだ。

ラッキー♪

僅かの距離だが

タクシー乗り場まで行くのも今は面倒。


タクシーの中で、やっと伸びていられる、そう思ったら・・

なんと、この運転手、横浜に来て三日目だと!

うっそ・・当然、目印になる学校や駅もわからない。

結局、家に着くまで「ここをまっすぐ。次を左・・」と

ずっとナビしてた・・

実は明日の火曜日と、二日後の木曜日に

この傷の手当てのために通院する事になっている。

手術の次の日に診察があるんなら

入院したほうが良かったかな・・

確実に麻酔が切れたのを感じながら、タクシーの中でそんな風に思う。

「あ、ここで結構です。停めてください」

やっと家に到着した。
2008.07.27
再修正手術5
午後からカミナリと夕立。
きょうは珍しく、今現在エアコンがなくても
涼しくて気持ちいいです。

昔は信州の夏って、毎日、こんな感じだったのになあ
今は横浜とあまり変わらなくなっちゃいました。
でも、きょうは昔の信州に帰ったみたい♪快適です。

ただ、カミナリが鳴ると、パソコンを使えなくなる・・
それがちょっと困りますね。
明日も夕方から雷雨の心配とか・・涼しいのはいいんだけどね。

・・・・・・・・・


「ただいま〜〜!」

それでも親孝行娘の性で(笑)元気に帰宅。

両親に手術の経過など話すと

それで入院しなくていいの〜〜?と驚いている。

確かに(^_^;)



先生は

私がいつも実家経由で病院に通ってることを知っているから

そしてその実家が病院からとっても近いから

日帰りになったのだと思う。

遠くから来ていたら、さすがにこの芸当は無理!



でも・・

洗面所で手術の跡を見たら

白いテープで固定した上から透明の幅広テープが貼ってある。

(これが合わなくて、たった三日でひどいテープかぶれとなる・・

「テープかぶれ」は初めての経験)

このテープの上に血が滲み出していた。

ドレーンの部分からは、血が出るかも、と言われたけれど

こんな広い範囲で縫ったところから血が滲んじゃって・・大丈夫かな。



そして・・痛い。

不思議に左の再建側は全然痛くないのだが、

右の健側の縫ったところが・・とにかく痛い。

こういう時は鎮痛剤を飲んで寝てしまうに限る。

二階に早々引き上げて、横になる。

これがまた・・体制が難しい・・

こんな時、病院のみたいにリクライニングだったら・・

あんなに私と相性の悪かった病院のベッドが、この時は無性に恋しかった。



その日は結局、「から元気」も限界。ダウン。

夕食も母が二階に運んでくれるほどだった。

癌の手術の時も、再建の手術の時も、

こんなに辛そうにしている娘を見た事がなかったと思う。


この手術が今までと比べてそんなに大変だったのか・・というと

決してそんなことはない。

ただ、いつも手術後は入院していたので、

母は、手術直後の私を見た事がない、それだけなのだ。


ダンさんは、いつもは傍についていてくれていたが

今回は軽い手術という事で長野で待機。

でも、思ったよりも私が電話の向こうで辛そうだったので

心配してチョクチョク電話をくれた。


こういう時、携帯ってありがたい。

家族は通話料無料のサービスってありがたい。
2008.07.29
再修正手術6
その夜は、何度も何度も目が覚めた。

痛みのためだったかどうかは、今は記憶がハッキリしない。

でも、

普段は一度寝たら何があっても朝まで起きない私が・・寝られなかった。

寝不足のまま、朝を迎え・・

それでも痛みは昨日に比べるといくらかマシになったような気がする。

胸を見ると、やはり血が昨日よりも大きく滲んでいる。

前に修正したときもこんなだったかな?

あまり憶えてない。

でも、きょうは病院で診て貰えるのだから、気は楽。


朝一番で再建外来に行く。

いつもこの時間は人が少ないけれど、今日は火曜日というのもあるのか

本当に人もまばら。

すぐに呼ばれて診察室に入る。

女医さんが居て、私の顔を見ると「あぁ」とニコッと笑った。

そして「昨日、佐武先生のお手伝いをさせていただいた渡辺です」と。

そうか・・昨日は先生はマスクをかけたままだったから顔が判らなかった。

今日は、佐武先生は北里へ行っているので渡辺先生が診察をしてくれるという。



テープを取り変えてもらったけれど、特に心配はなし、という事。

それを聞いたら、現金なもので急に元気になった。

本当にさっきまでの痛みもどこへやら。

病は気から・・と、いうけれど、痛みも気から・・でしょうか。

渡辺先生と手術中話した温泉の話題などの続きを話してリラックス。

(先生が、あの場面でよく私が話したことを憶えていてくれましたね、って驚いていた)

当初、抜糸は一週間後の予定だったけれど

私の今回の手術はドレーンの部分意外は抜糸をしなくてもいい方法だとかで

二日後の木曜日の佐武先生の診察のときに抜糸してくれるように

頼んでくれるという。

抜糸できたら、今週末ダンさんと一緒に帰れるもん。嬉しい。


木曜日は佐武先生の診察。

すべて順調で、ドレーンも取れて抜糸もできて、晴れて長野に帰れる事になった。

ただひとつ、手術のあと、傷口を固定するために貼った

透明な幅広テープ・・

これがメッチャ肌に合わなくて、すでにヒドイかぶれ状態。

よく、テープでかぶれた・・っていう話を聞くけど、これなのね。悲惨だ・・

先生から

「マイクロポアも(今までは平気でも)夏場だし

もしもかぶれそうになったら、休むように。

テープ貼りよりもカブレ防止を優先して」と言われて、

カブレ治療の塗り薬を処方される。

(このカブレは、その後、良くなって、あと少し。

今のところ、マイクロポアでのカブレも一切ない。もともと肌は強いみたいだ。

時々、保湿のために勝手にヒルドイドソフトを使用)

次の診察は一ヵ月後。

なんだか、見も心も軽くなった気がして・・

リザベンもまた二週間分処方されたけれど

今回は、いつもの薬局に。

当たり前のようにジェネリックを出してくれた。

さあ、これでうちに帰れるぞ!


金曜は乳腺外来を受診して

(そう、遠方からの受診なので毎回、効率的に予約を入れてもらいます。)

夜にはダンさんが横浜に来て、一週間ぶりの再会♪

土曜日に横浜を一日中遊びまわって、好きなイントラさんへの御土産なんぞ調達。

土曜日の朝、車で長野に帰るべき出発。


なんだか濃い一週間だったわ〜

でも、これでやっと安心してうちでゆっくりできるわ〜・・

と思ったのもつかの間。


家に着くと、長野市から一通の封書が私宛に届いていた。

「先日の肺がん検診に異常が見られたので

できるだけ早く精密検査を受けてください。

万が一、受けられない場合は早急に・・・云々」


なに、これ・・一気にテンション、下がる。
2008.07.30
再修正手術7
前回書いた件は、いうまでもないけれど、

もしも本当に異常だったら、今ここで、こんなに悠長にしていない。

でも、このことは「再修正手術」のストーリーを書く流れの中で

少しだけでも触れておいたほうがいいと思ったので、

あえて、書きます。



市から来た手紙は、なんだか物々しく感じられた。

結果通知と、異常が認められる部位の図。

そして精密検査を行った医院から市へ結果報告の書類。

そして、病院に行かれない場合に市へ提出する理由書。

結果通知の最期に

「異常があると必ずしも決まったわけではありませんので云々」と

書いてあるのも、なんだか慰めているような書き方。

そのくせ

市への病院からの報告書の

結果の欄の一番上が「肺がん」だ。

いくつも病名があって、一番下に「異常なし」がある。

普通は「異常なし」が一番上だろうが・・と内心クレームをつける。

それにしても、なんで引っ掛かった?

正直言って「肺転移」が頭を掠めた。

やばい〜・・・マジ?

だけど、ダンさんは即座に否定する。

「カミさん、あの運動量を考えてみなよ。、

あの声を出しながら、あれだけ身体を動かしていて、

全然息切れしてないんだから!」

(そりゃそうなんだけど・・確かに普通の人の肺や心臓より逞しいはずなんだけど)

「第一、市の10センチ四方の間接撮影で何がわかるもんか」

(それを言っちゃあ、おしまいでしょ。

それに、あの小さな画像に写っちゃったってことは相当・・・

いや、考えない!くわばらくわばら)

軽い調子で書いてるけれど

実は、その日は二人とも、かなりテンション下がっていたのが本音。

だって、「まさかうちに限って」は通用しないってことは

身を持って体験してるからね。


結局、一日も早く病院に行ってはっきりさせなくちゃ、と次の日病院に行った。

そこで診察、直接撮影、血沈検査として

乳癌患者ということも考慮して貰ったけれど、今のところクリア。


その日は病院に関してもいろいろ右往左往してしまうアクシデントなどあって

一日がかりで走り回ったので、もう心底クタクタで

その夜は、なんでもなかったお祝いで二人でワインで乾杯するも

なんだか背中だかなんだか・・少し疲れ気味の感じだった。

背中?

そう言えば・・病院でレントゲンを撮るときに

技師さんが「はい、大きく息を吸って」っていうでしょ。

その時(息を吸ったとき)

背中の中央辺りがかすかに「うっ」っと違和感が・・

痛いわけでなく、気にも留めずにいたが

後から考えると、あれが、あの痛み、苦しさの「序章」だったような気がする。
2008.08.03
再修正手術・
完結
次の朝、いつものようにベッドから起きようとしたら・・

「!!!」背中にスゴい痛みが走って動けない。

無理に起きようとしたら「うっ・・」と息が出来ず。

しばらく、ベッドの上で喘ぎ喘ぎ、やっとなんとか起き上がった。

なんだ、この痛さは・・・?

「筋肉痛かぁ?」

隣に寝ていたダンさんが聞く。

「う〜ん、たぶん・・だけど・・すごく苦しい・・いたた」

痛いよりも背中のどこかを圧迫されて息ができない状態がつらい。

起き上がってしばらくすると、なんとか動けるようになったので

そろそろと階下へ。

ダンさんが

マッサージしてくれたり、低周波治療器を当ててくれたりするのだけれど・・

横になる事自体が大騒ぎ。

横になったらなったで、それが うつ伏せだろうと仰向けだろうと

しばらくは息が出来ないくらいキツイ。

今、思い出しても、あの痛みと苦しさ、尋常じゃなかったと思うよ。

後日、治ってからも、トラウマになって横に成るのが怖かったもの。





前日、病院で肺がんの検査をしてて良かった。

でなければ、きっとこの痛みを

市からの「要精密検査」の通知と結びつけて青くなっていたことだろう。

いや、精密検査を受けた後だったけれど

私の中では、この痛みはどう考えてもおかしいと思っていた。

筋肉か?筋肉ならいいけど・・でもなんで筋肉痛か?

最後にジムで暴れたのは、手術の二日前。もう、10日も経ってるぞ。

それに痛いのは筋肉というより背骨のような気も・・

と、なると・・やばい。

今度は「骨転移」が頭を掠めて、いやいやと首を振る。

(体調が万全でないとテンションがやたら下がって、ろくでもないことを考える)

もしかしたら・・

これが可能性としては大なのだけれど

ジムでやっているレッスンの1つにヨガに似たエクササイズがあり

それの中でブリッジポーズがある。

勿論、出来る人だけなんだけど、私はできるからやってしまう。

あれは、背筋力でやるのだけれど、結構、背中に負担が掛かる。

自分では平気でやっているつもりなんだけど、

やっぱり若い子と一緒になって

頑張りすぎて体が悲鳴あげたのかな。

悲鳴だけならいいけど、骨をもしかしてどうかしたかも・・

ダンさんはそこでも即否定。

「骨がどうかしていたら、もっと痛いはずだよ」

(もっと・・って・・これでも充分痛いんですけどぉ〜)

「10日以上も前に骨がなんとかなってたら、とっくに異常を感じてるよ」

(そりゃそうかもしれないけど・・

でも、若くないから痛みが今頃出るってことだってあるでしょうが・・

あ、それは骨折じゃなくて筋肉痛か?(セルフ突っ込み)

それにしても本当に痛いのだ。

不思議な事に

痛みを堪えて、なんとか起き上がって直立不動になると

あまり痛くなくなり、そのうち何でもなくなる。

そしてまた横になる時や起き上がるときがもう大変。

息が出来なくて・・きつすぎ。

痛みには比較的強いはずの私が、この時には流石に弱音を吐いて

ダンさんを心配させた。


あ、ここまでゴチャゴチャ書いたけれど

先を急いでしまおう。

病院に行かなくてはまずいか・・と思いながらも

それもイマイチ決心がつかず、ネットでいろいろ検索していたら

同じような症状の人たちが沢山いて

みんな、病院に行ったけれど特に異常なしと言われていて

それもまた病院から気が遠のいた。

あと数日痛みが治まらなかったら病院に行こう、と思いながら数日。



結局、段々と確実に痛みが小さくなって、そのうち消えた。

一体、なんだったのか?

二人が出した結論としては

これは、やはり手術の後遺症だったのだろうと。

(だから、この「再修正手術編」に書いているのだけれど)


手術のとき私は局部麻酔だった。

時には痛みを伴う手術を、体中で感じながらの2時間弱。

気持ち的には平然としていたけれど

実は、身体はずっとかなり緊張していたはず。


特に痛くなった(背中)部分は、偶然かどうかわからないが

右側の、ちょうど乳房の位置の裏側の背中辺り。

身体が極端に硬直したまま、手術を受け

その後も、手術部分を意識して不自然な姿勢で生活をしていたのが

10日もたって、突然、あんな形ででたのではないか。


そういえば、本手術のときも同じような痛み(これほどではないけど)が

入院中にあったように思う。

あの時は、二日間、動けなかった事が原因かもしれないが

身体の筋肉がいつもと違う「衝撃」で悲鳴をあげたという点では似てるかもしれない。

正直いって、ちょっと不安になるくらいの痛みの体験。

だけど

こういう事もあったよって、ここで書いておくのは大事なことのように思う。

これから、手術などを受ける人で

もしも同じような痛みで不安になる人がいたら、

こんな私の経験も思い出してくれたら。


再修正から一ヶ月経たない8月1日

ジムに復帰してコンバット(格闘技系)とエアロビクスで自分を取り戻す(笑)

今は早くもジム三昧の日々。



一ヶ月たった胸は?

やって良かったと思ってます。



局部麻酔や日帰りについては,,,

人それぞれなので、コメントは差し控えたいと思います(笑)
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