思いもよらず・・
再建までの(主治医との)ゴタゴタ記録

楽天HPのフリーページに書いた
再建へ一歩踏み出すまでの記録

★生還記念日 (2003年6月5日記)


6月5日・・私の「生還記念日」です。

4年前の今日、乳がんの手術で左胸全摘しました。

今・・これを書いてるのが午後3時だから・・

4年前の今頃は、もう手術が終ってたな。

そして左手を動かして「動くよ〜」って笑ってた。

それから3年間・・お医者様にとって

「優秀で模範的」な「自慢の患者」の始まり始まり〜の日、でもあった。

そしてもう一つ、6月5日は

再建への出発記念日・・でもある。

再建の過程で、いつを「出発」とするかは難しいところだけれど

私にとっては、昨年のきょう6月5日。


ちょうど乳癌から3年経った昨年の今日、2006年6月5日

乳癌手術をした病院の診察室で

模範生で自慢の患者は、お医者様にとんでもない事を言い出した。

しかもなんだか写真が沢山載ってる本まで持ってきて。

「再建したい」と。



そう、1年前の今日、私は初めて主治医に「再建」という言葉を口にした。

そして・・それ以来、その主治医とは会っていない。



命を救われたのも今日。

再建の第一歩を踏み出せたのも今日。

いつか・・そう、いつかはもう一つ

今日の記念日を増やせたら・・が目標です。

何を?

それは、再建がすべて終って落ち着いたら・・

いつの年かの6月5日に

乳癌の手術をして貰った先生に会いに行って

再建した胸を見てもらうこと。

二度と会いたくないと思っていたこともあったけれど

今は先生の「再建」へのイメージを変えて欲しいと思うようになりました。

先生のところで乳癌の手術をした人に

再建という選択も話せる先生になってくれたら・・と今は思っています。


★レトロな個人病院 私が2003年に乳がんの手術をした病院は

総合病院じゃなくて「○○医院」。この○○の中には

当然、院長の苗字が入ってるのがお約束(^_^;)

医師は・・院長だけ。一週間に一度だけどこかから他の医師も一人来てたかな。

入院施設はあるから看護師さんは多数いたような・・

昔から地元で開業していたもので、評判は・・ま、いろいろ。

個人病院の評価なんて、ま、いろいろです(意味深)

手術したあと、何人かから、あの病院で手術したと言ったら

「(あんなところで)大丈夫なの?」と言われてしまった(^_^;)

大丈夫も何もアナタ・・もう手術しちゃったがな。

身体が丈夫だったので、いわゆる「かかりつけ」の病院がなかった。

この病院は、うちからも歩いて行かれるところにあって

時々子供が世話になったり、自分もたま〜に行ったくらいかなあ。


こう書いてると、まるで、ちょっと怪我をしちゃって

治療してもらうために、たまたま近くの病院で行った・・ってノリね。

ちがうちがう。

私はここで正真正銘乳癌の手術をしたんだよ。

その時・・乳癌で入院してるのは・・私だけだった。


今思うとなあ・・よくだなあ・・っと思う。


そうそう、私、結局、医師から「癌です」って告知されて無いんだよ。未だに。

看護師さん達も何も言わないし、私に凄く気を使ってた。

あの病院では癌患者に告知するなんてとんでもない!って思っていたらしい。

で、私がケロッと「主人から聞いてるから知ってるのよ」と言うと

ビックリして「ご主人から聞いたの?」と。(聞いちゃったの?ってニュアンス)

「おいおい、隠すならそこで患者の誘導に引っ掛かっちゃ駄目っしょ」

っと突っ込みたかったけど、やめた。

私は本当にダンさんから聞いていたからね

それからは婦長さんはじめ、みんな安心(?)して

私ととっても仲良くなってザックバランになった(笑)

後から年長の看護師さんが

「皆があなたみたいにシッカリしてればいいんだけど・・

(告知すると)いろいろな反応の人がいるから・・
」と。

う〜ん、まあね〜それはそうなんだけど・・でも自分の事は知りたいでしょ!

とも反論しないで、心で思うだけ。

今思うと・・私も病院も何もかもが・・ちょっと前時代的な

レトロ(?)な時代感覚で「物語」が流れていたかも。



でも、あの時の私は私で一生懸命だった。あれで精一杯だった。

精一杯の気持ちで、医師を信頼して、治療に専念した。


その後、私自身、遅まきながら

情報や知識などが増えるに付け、自分の手術法や治療法などに

いろいろな思いも湧かなかったといったらウソになるけど

こんなに回復した自分にしてくれたのは

この病院、この先生・・と信頼していた。

もしも、私が「再建」なんて言い出さなかったら

私は今でもこの病院に定期的にお世話になっていたはず。




★ポジティブな患者(1) 私は病院で「癌です」とは言われなかった。

「癌じゃない、でも放っておいたら確実に癌になる」

そんな、ナンジャイ?の告知のされかただった。


そういう方針だった・・のだろう。


癌という言葉は医学の発達した今でも不気味な響きを持っていて

ましてやこの病院の患者は年齢層が高い。

情報もそれほど伝わらず、病名のイメージも昔のまま持っているため

「癌告知=死の宣告」と考える人も多いらしく

田舎の個人病院では、そこを慎重に対処せざるを得なかったのかもしれない。



そんな中で私は自分の病名を平気で云って

しかも手術前にも眠剤無しで熟睡し、手術後の身体の回復も

病院中が仰天するくらい順調で始めから食欲旺盛、完食・・完食。


そして何より乳房と大胸筋の半分を切除して大きな長い傷が出来たというのに

やたら元気で・・


先生や看護師さんにとって、本当に模範生だった。

退院してからも、ちょっとした手術の傷のアクシデントがあって

毎日通院したんだけど

退院翌日から自分で運転して病院に行った。

一ヶ月に一度の通院になるまで一ヶ月以上は毎日通院。

(あの時期は辛かった・・家では実は凹んでいた



一ヶ月に一度の通院はずっと最後まで続いた。

一ヶ月に一度、薬を貰いに行きながら

先生と会って、簡単な触診と雑談。

その間に先生は「頃合(コロアイ)」(?)を見計らって

血液検査したり肺のレントゲン撮ったり・・

結構マメな検査だったかも(そのくせ、マンモはしてない・・)


私は何度も書くけど本当に元気一杯の患者だった。

入院中もそうだったけれど

外来の看護師さんたちの間でもポジティブで明るくて

癌など吹き飛ばすようなパワーを持った患者だった。



でも・・

本当にそうだったのだろうか・・


★ポジティブな患者(2) 私にはガンと診断されてから今までに

いつの間にか悪い癖がついていた。

この先生の前に出ると・・元気になるのだ。

元気?いいじゃないの。

違う違う、ちょっと違う。

元気にしなければいけないという思いが働くのだ。


「元気な患者だ、ガンだというのにこの明るさはたいしたもんだ」

みんなにそういわれてるうちに

そうでなくてはならない気がして、

この病院に行く時は自ずとテンションを上げる自分が居る。

自分がちょっと気持ちが疲れている時ほど、気を奮い立たせる。



こんな事書くと「なにそれ?」って思う人もいるかもしれないけど

でも・・きっとわかってくれる人も居るんじゃないかな。


病院の先生の前での患者は三つのタイプに分かれる気がする。

とても大袈裟に病気をアピールするタイプと

何処も悪くないって必要以上に健康をアピールするタイプと

そのどちらでもない自然体タイプ。


私は三番目の自然体だとずっと思っていたんだけど

癌になってから、この病院だけは、なんだかテンションを上げずにはいられなくて・・


だから、正直言うと

一ヶ月に一度の通院が時には物凄く気持ちの負担になる事も多々あったけど。

「カミさんは元気だなあ・・本当に治って良かったなあ。。」

先生がシミジミとそう言ってくれる言葉を大事にしたかった。

「私達もカミさんを見習わなくてはいけないっていつも云ってるのよ」

そういう看護師さんの言葉が嬉しく、ますます「カミさん」らしい自分になっていった。

暗い顔は似合わない患者。

病院のドアを開ける前に、背筋を伸ばして、笑顔を作る私がいた。

ちょうど舞台に立つ役者のように。


でも・・

一年・・二年・・三年・・とそうやっているうちに

本当に不思議な事に

私はだんだんと自然体でもテンションが高い、本物の元気印になった。

そして・・そのエネルギーは私を「再建」へ向かわせた。

今まで誰からも(ネット友達以外)

ただの一度も言われなかった、奨められなかった「再建」へ。
★再建のキッカケ 乳癌手術から3年。

それまでも私は胸がなくなったこと以外は何も変わらず

却って、病気をする前よりもアクティブな毎日を送っていた。


いつ頃だったろう。

私の本拠地であるHP「ふるむ〜ん温泉」の掲示板に

前から来てくれている「ポッキーさん」という方が

HNを変えて来てくれて「横浜で再建します」と書いてくれた。

その変えたHNは・・「ポー」さんだった。


再建・・という文字は知らなかったわけではない。

癌の手術をしてすぐにネットで知った。私の術式だと筋肉と脂肪を

皮膚ごと移植するしか方法がないと知った。

同じ県内でその方法で再建した方の写真も見た。

正直、心が動かなかった。

胸はいらない・・と思った。

それ以来、再建の「さ」の字も私の心の中には存在しなくなった。



だからポーさんが再建の話をしても

私は「おめでとう、頑張ってね」としかその時には言えなかった。

ポーさんは私が横浜に実家があることも知っていて、

しかも運動が大好きなのも知っていて

こんな素晴らしい再建の方法があるんだよと、教えてくれたのだろう。

でもその時には私は彼女の書き込みをもっと深く読もうとしなかった。


それからしばらくして、ポーさんが始めたというブログを覗くようになった。

そこで「うきふね」さんのブログを知ることとなる。


うきふねさんは・・再建したご自分の胸を公開していた。

え?これが再建した胸?

衝撃的だった。違う・・私の再建に対する貧弱な知識と先入観が吹っ飛んだ。

・・綺麗だった。見事に胸の形をしていた。

「自家組織だけれど筋肉を犠牲にしません。」

ポーさんにも教えて貰っていたはずなのに

改めてその意味を考えた。

これは私のための手術だ。本気でそう思った。

ポーさんの

「ジムでバスタオルを巻いたまま闊歩できる」という言葉に思わず涙が出た。


それからポーさんやうきふねさん、Starさんのブログを見て

一からマイクロサージャリーの事を学んだり

ブログで本が紹介されているとそれを取り寄せたりした。


そろそろ術後3年になろうとしていた。

もう私の中では佐武先生に再建して貰うと決めていた。

ダンさんも私が望むならと積極的に協力してくれて

初診の時には自分もついていくからと会社に休暇を取ってくれた。


あとは今の病院で「紹介状」を書いてもらって

木曜日に横浜に行けばいい。

私の胸はまだ再建前なのに、希望で大きく膨らんでいた。


先生に紹介状をお願いするのは、手術からちょうど3年経った日にしよう。

3年、無事に過ぎた御礼と再建の決心をした報告をしよう。

そうだ、佐武先生の術式を特集した雑誌を持っていこう。

症例写真がたくさん載ってるからわかってもらいやすいかも♪



ノー天気だった。 私は本当にノー天気にルンルンしていた

★主治医との対決 乳癌の手術から丸3年経った2006年6月5日。

私は佐武先生の術式の載った「がん治療最前線」という雑誌を持って

主治医の元に行った。

再建のために佐武先生に会うには主治医の紹介状がいる。

実はもう、来週の木曜日に横浜の病院に初診を受けるべく

ダンさんが休暇を取っていたので、

なんとしても紹介状は書いてもらわなくてはと思っていたし

当然、気軽に書いてもらえると思っていた。

診察室に入って、いつもの雑談と診察。

ニコニコと機嫌がいい。

「お陰さまで今日で丸3年です。ありがとうございました」

「そうだねえ、早いもんだね。カミさんは、(今後)まず大丈夫だからね」

この時に主治医は嬉しい事に

99%ダイジョウブ、つまり再発はないと言った。


私はそれからニコニコと、でも真面目に本題に入った。

「それで・・3年経ったので、
そろそろ再建のことを考えて見たいと思っているんです。」

(実は横浜に・・)と切り出そうとした私に思いも寄らぬ主治医の言葉が返ってきた。

「再建!!なんでまた、そんなこと考えるんだ〜!」

え?一瞬、わが耳を疑った。

その後の会話は順序だてて話す事が今ではできない。

ただ、言われたことの一部は思い出す事ができる。

順不同で並べてみれば・・

「再建なんてやめろやめろ、いい事なんか少しも無い」

「再建した胸を見たことあるけど、そりゃ〜、見られたもんじゃなかったぞ」

「再建なんかしたら、余計に惨めになるぞ」

「(雑誌の綺麗に再建された写真を見せたのに)こんなになりたいのか」

「(筋肉を犠牲にしない術式だと説明してるのに)

将来、腹筋や背筋に支障が出るのにやりたいのか」


喧嘩しなかった私は立派だった(笑)

呆れていた半面、悲しくて悲しくて・・

こういう言われ方をされたからじゃない。

感謝していたこの先生が、

こういう感覚だったのが・・やたらに悲しかった。

涙が出そうになったのを・・堪えた。

私は元気印のカミさんなんだから、泣いちゃいけない。

泣きの感情が怒りに変わったのは次の言葉。

「再建なんかして再発したらどうするんだ、それこそ目も当てられない」


再建したら、再発の可能性が上がるんですか!

さっき99%ダイジョウブと言ったのは、

この胸のままでいたら、という条件付ですか!

再建と再発の医学的根拠があるんですか!


・・・言えないよ、そんなこと。思っただけ。


私はただただ紹介状を貰いたいがために、必死に作り笑いしていた。

その笑った顔が、今にも引き連れそうになるのを堪えるのが必死だった。


そして、主治医は最後に深い溜息をついてこう言った。

「・・・気持ちはわかるけどさぁ・・」

気持ち?私の気持ち?私の気持ちがわかる?

それ、どういう意味?

胸がなくなって、惨めだってこと?

だから再建したら「余計に」惨めになるってわけ?

判ってなかったんだ・・私がこんなに術後も元気で明るくいたのに

コンプレックスと惨めさの中で生きてると思われていたんだ・・


私は心がすっと冷えていくような感覚に襲われたけれど

口元に笑を含んで(口を歪めて?)


「そうですね〜。そうかも。

でも先生、一応、横浜でお話だけ伺ってくることになってるんで、

どうしても紹介状が必要なんですよ。

お話をよく聞いて、また考えます。先生にもご相談します。

紹介状、是非お願いしますよ〜」

深々と、土下座に近い頭を下げた。

「そりゃ、かまわないけどさぁ^^」


このやり取りの間

周囲の何人もの看護師さんたちは、一言も発せず、

シンと重く苦しい雰囲気に包まれていた。

後から会計を待つ間に一人のベテラン看護師さんが

私の持って行った雑誌を「見せてもらっていい?」と

真剣に見ていた。

この雑誌、先生の術式に対する誤解があるので

「置いていきますので宜しかったら後で読んでください」と言ったら

「いらないよ!そんなもの!」と言われてしまった。

とにもかくにも

私はこうして「紹介状」を手に入れた。

(それは非常に簡単な、最低の情報も記載されていないものだったけれど)


そして、私は、まもなくダンさんと2人で横浜の市大センター病院へと向かう。


やっと手に入れた、佐武先生宛ての「紹介状」を持って・・

★完結編・・横浜へ 耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで(-_-;)

なんとか紹介状を書いてもらうことになったその日。


駐車場の車に戻って、思わず、仕事中のダンさんにメールしてしまった。

すぐにダンさんから電話。先生からたった今言われたことを思わず全部吐き出した。

泣き声には、なっていなかったと・・思う。

そして「もう、この病院には来ない」と言った。



佐武先生の再建された胸の素晴らしさは画像などでよく知っている。

だけどそれは手術をして段々と落ち着いてきて、

または修正という段階を経て形が整ってくると聞く。

私は再建手術を、佐武先生にしてもらう事に勝手に決めていたから

その再建したばかりのまだ「調整中」の胸を

この主治医に絶対に見せたくないと思った。

それこそ、何を言われるか判らないと思った。

二度と立ち上がれないかも、と思った。

私の心を根こそぎ、荒らさないとも限らないと思った。



ダンさんは「わかった」と言った。「それでいい」と言った。

「これからは乳癌のほうも市大センターでお世話になれるよう考えてみよう」と。


それから紹介状を手に入れていよいよ横浜に乗り込む事になり

私はポーさんにメールした。そしてポーさんうきふねさんに。

このお2人には言葉でいえないくらい、私は感謝してる。

細かくは書かないけれど、うきふねさんとポーさんのお陰で

私は初診当日、秋には再建、と即座に決まったのだと思っている。




初診の日、私はダンさんと2人で朝早くに受付を済ませ

二階の「形成外来」の待合ロビーに行った。

早朝から凄い人の数。

うきふねさんが来て下さった。

勿論初対面だったけれイメージ通りの聡明な女性。

うきふねさんは、すぐに応接室で、私に再建した胸を見せてくださった。

触っていいと言われ・・手に柔らかで暖かな感触・・何故か涙が出た。


その後、長い待ち時間の間に、何人もの再建仲間がやってきて

それこそ和気藹々と話を弾ませていた。

再建の話をしてるのにみんな大きな声(笑)

そこだけエネルギッシュで「元気オーラ」が満ち満ちていた。

この人たち、みんな乳癌患者なんだよねえ・・カルチャーショックだった。

私もすぐにこの仲間に入れるのかしら・・不思議な感覚だった。

お昼近くになって、中待合で順番を待っている間

一度、診察室から男の先生が出てきて、私達夫婦の前を横切った。

その時、その先生の丸い、いたずらっ子のような目と、合った。

雑誌で見た、佐武先生だった。




しばらくして診察室に夫婦で入る。

その後は、それこそ意外なほど、驚くほどとんとん拍子。

先生は既に再建を前提に話をしてくれている。

「ちょっと胸を見せてもらっていいかな」

私は三年間見慣れた胸を披露した。

「ちょっと立ってみて」

促されて立った私を見て、先生が隣にダンさんに笑顔で言った。

「姿勢がいいね」

ダンさんも「はい!」と嬉しそうだった。


・・・・・



その後 佐武先生に長野の主治医の話をしたら

同じ市大センターの石川先生に紹介状を書いてくれて

今はここで乳腺のほうもお世話になっている。

治療法や再建に対する考え方

こんなに違うのかなあ・・と医療の地域格差、病院格差、医師格差を感じる日々だ。


でも、ここでこんな風にゴタゴタ話を書いたけれど

今、少し落ち着くと、あの時とはまた微妙に違う感覚がある。

前にも書いたけれど

私は二度と会いたくないと、あの時に思った先生に

いつかは会いたいと思う。

そして、私の再建した胸を是非、見てもらいたいと思う。

これからも乳癌の人は増えると思う。

その人達が希望を持って治療が出来る、こういう方法もあるんです。

こんなに綺麗に再建できるんです、とお話したい。わかって欲しい。


でも、正直言うと、チョッピリ

「どうじゃ!参ったか〜〜!!」の本音も見え隠れしてるけどね(笑)

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